著者、三浦英之氏は本書でこう言い切る。〈私たちはきっとアフリカゾウを守り抜けない。彼らはそう遠くない未来に、ほぼ一〇〇%の確率で消滅していく〉(引用一部略、以下同)。タイトルの「牙」という文字は絶滅に向かうゾウが読者一人一人に向けた刃(やいば)のように思える。行間には、刃を直視する著者の絶望が見え隠れする。
2014年5月、ケニアの国立公園の人気者だった50歳のゾウ「サタオ」が何者かに殺された。チェーンソーのようなもので顔をえぐられ、巨大な牙を奪われた写真に衝撃を受け、著者は問題に分け入っていく。
密猟組織のドンにじかに当たり、タンザニアなどで暗躍する中国人関係者へとじりじり迫るが、なかなか本丸に近づけない。そのころ、南アフリカではワシントン条約締約国会議が開かれ、象牙密輸のチャンピオン、中国が一転、米国などと足並みを揃え「象牙市場の閉鎖」を訴え始める。
中国は、いまだに象牙市場を持つ〈日本を貶め、攻撃することで、自らの立場を「悪」から「善」へと転化させ、国際社会をリード〉しようとしているのではないか。日本政府は、そんな著者の危惧を逆なでする。政府は周囲の目を忖度せず、かたくなな態度をとり、会議中に環境大臣が「日本の国内市場は密猟で成り立っているわけではない」と語り、自分たちは「適用外」だと言いだす。会議は錯乱状態となり、怒った外国人に取り囲まれた著者は、デンマーク人にこう言い放たれる。〈一国でも象牙市場が存続する限り、密猟者たちはアフリカゾウの虐殺を止めない。日本人はそんな簡単なこともわからないのか〉
何も言い返せない著者の絶望感、そしてゾウへ向けられた祈るような思いが本書の主題だが、読後、私の中に強く残ったのは「象牙女王」と呼ばれた中国女性の姿だ。逮捕され、のちに禁固15年の実刑判決を言い渡される彼女を撮影しようと著者は、タンザニアの裁判所でひそかに待つ。すでに老いの域に入った彼女が現れると同時に著者は廊下へと突進する。その姿を目にした彼女は一瞬ひどく驚くが、予想外の行動に出る。胸元のボタンを留め直し、慌てて身繕いを始めたのだ。〈アフリカではあまり見られない、東洋人の女性らしい仕種だった。私は遠く日本で暮らしている母親の姿を見たような気がして、一瞬、胸を突かれた〉
著者はアフリカ各地で怒りや哀しみ、差別、暴力など人間のむき出しの姿を見せつけられ、死をリアルに感じたこともあったのだろう。「同胞」の女性を目にしたときの著者の一瞬の心根は、奥の深いこの大陸に生息したからこその反応だったと私は思い至った。立場は違うが彼女も著者以上に深くこの地に関わってきた。アフリカはときに人をひどく痛めつけはするが、半面、限りない懐の深さで人間性を育む。著者の息づかいがそう感じさせた。
みうらひでゆき/1974年、神奈川県生まれ。朝日新聞記者。アフリカ特派員などを経て、現在福島・南相馬支局員。2015年『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で開高健ノンフィクション賞受賞。本書で小学館ノンフィクション大賞受賞。
ふじわらあきお/1961年、福島県生まれ。毎日新聞記者。2005年『絵はがきにされた少年』で開高健ノンフィクション賞受賞。