いまから30年前のきょう、1987年2月22日、アメリカのポップアートを代表する美術家のアンディ・ウォーホルが58歳で亡くなった。
ウォーホルは1976年から亡くなる5日前まで、平日には毎朝、日記担当の秘書パット・ハケットに電話で前日にあったできごとを語って聞かせ、書き取らせていた。没後、ハケットの編集により公刊された『ウォーホル日記』を読むと、多くの有名人と交流があっただけに、登場する人物がいちいち豪華だ。1981年8月5日付の日記には、現アメリカ大統領のドナルド・トランプに、当時建設中だったトランプ・タワーに飾るために頼まれた絵の試作を見せたことが書かれている(文春文庫版・下巻、中原佑介・野中邦子訳)。
パーティの話も多い。1985年11月14日付の日記によれば、オノ・ヨーコがボブ・ディランのために即席のディナーパーティを開くというので出かけたところ、デヴィッド・ボウイやマドンナなど「大物ばかりのパーティ」だったとか。このときボウイのスーツがモダンすぎて、「がっかりだった」ともウォーホルは漏らしている。ちなみにボウイはそれから約10年後、映画『バスキア』(1996年)でウォーホルその人を演じた。
『ウォーホル日記』にはそんな華やかな世界が描かれる一方で、老いや死への恐れがあちこちにうかがえる。毎年8月6日に誕生日を迎えると、彼は憂鬱になった。亡くなる前日には、長らく先延ばしにしていた胆嚢の手術を受けている。術後は順調に快方に向かっているように見えたが、容体が急変したらしい。
ウォーホルはかつて「死んだあとで、何がいちばんいやかっていったら、ミイラにされてピラミッドの中に安置されることだ」と語った。べつにその言葉に従ってのことではないが、彼の墓には埋葬後、何日経っても墓石が置かれなかったという。ようやくシンプルな墓標が置かれたとき、誰かがその上にキャンベル・スープの缶詰を乗せた。もちろんこれは、キャンベル・スープ缶を題材とした作品で知られる彼に敬愛の念をこめたものであった(フレッド・ローレンス・ガイルズ『伝記 ウォーホル パーティのあとの孤独』野中邦子訳、文藝春秋)。