月間150億PVを超えるガリバーサイト。2018年度の総売上9547億円。この売上は、朝日、日経、読売の全ての売上を足した額より大きい。ヤフーはなぜ新聞各社をはるかに引き離した一強の地位を築いたのか?
この20年のメディアの巨大な変化を明らかにした著作『2050年のメディア』の中から、その分水嶺となった2000年代半ばのヤフーと新聞各社の攻防をハイライトする。
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新聞社独自のポータルサイトを
新聞にとってのヤフーの危険性をもっとも早く見抜いていた一人に、現読売新聞グループ本社社長の山口寿一がいる。山口はまだ社長室次長だった2005年9月、読売社内に社内各部署から精鋭を集めた極秘のチームを設けていた。
「ヤフーに代わるポータルサイトを新聞社独自の手によってつくることができるか」
が、そのチームの命題だった。
不吉な数字はこの年さまざまな形で出ていた。
新聞広告が2000年の1兆2000億円強をピークにして下がり始め、2005年には1兆円ぎりぎりの数字になっていた。かわりに伸びていたのはインターネット広告費で、2000年にはほとんどなかったインターネット広告費は2005年になると、3000億円に近づいていた。
ヤフー自体の売上も、読売がヤフーにニュースの提供を始めた2001年8月には57億円しかなかった(2000年3月期)が、2005年には1178億円の売上をあげるようになっていた。
山口は法務部長として、神戸のデジタルアライアンスという会社が「ヨミウリ・オンライン」の記事を盗用しているという「ライントピックス」訴訟を戦っていた。
ライントピックス訴訟
デジタルアライアンスは社員10名にもみたない零細企業だったが、ヤフー・ニュースのページを見ながら、見出しを独自に手入力、ヤフーの記事にリンクを張って、その見出しを流す「ライントピックス」というサービスを始めていた。
読売新聞は、これが著作権法違反と不法行為にあたるとして2002年12月に提訴するが、一審は完敗、2005年10月に下された二審でかろうじて勝つ。が、しかし、この中で被告のデジタルアライアンスに、そもそも読売が自社サイトのヨミウリ・オンラインだけでなく、ヤフーにニュースを提供していることに矛盾があり、「その結果、巨大検索エンジンサイトに掲載された情報記事のみにアクセスされ、自らの広告収入が得られないこと、情報記事へのリンクが自由にされることを承認している」(被告準備書面)と痛い点をつかれていた。