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人々は「復活」を歓迎 キャリアを活かした活動へ期待
2001年12月1日、雅子妃は愛子内親王を出産する。皇室典範では天皇は男系男子しかなることができない。この時、「次は男子を」という声が報道されたこともあった。
そして2003年12月、雅子妃は帯状疱疹を発症し、公務を休むことになる。翌年、皇太子が記者会見で「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と述べた(「人格否定」発言)。その後、雅子妃は適応障害であることが発表され、療養生活を送ることとなった。
その中では、メディアにおいて皇太子一家に対する様々な批判が出てきたことも事実である。そうした時期が15年近く続いたことになる。
しかし、平成の天皇の退位が近づいたころから、次第に徳仁皇太子・雅子妃に関する好意的な報道も増え始めた。令和になり、雅子皇后への注目はより高まっている。人々に触れあうときに笑顔を見せ、積極的に会話をする皇后は、病気から回復したようにも感じられる。
そうした「復活」を歓迎し、再び人々はそのキャリアを活かした活動が行われるのではないかと期待しているのではないか。
ただそれだけでもない。東日本大震災の被災地で被災者と向き合う姿は、皇族として見舞うというだけでなく、どこか同じように苦しんできたことを共感し合うようにも見える。また人々は、一緒にこれまでの苦労を分かち合っているのではないか。そうすると、即位に伴うパレードが延期されたことも、台風で被災した人たちの想いを理解し、それを分かち合おうとしたからではないかとも思われるのである。