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宿澤、奥、廣瀬……日本ラグビーがわずか8年で世界に追いつけた「陰の功労者たち」

2019/10/22
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 「トップリーグ」は最初から「日本代表の強化」を一つの目的として誕生しました。このとき、ようやく日本全体で「ジャパンを強くしようよ」という雰囲気が生まれてきました。

 その中心で奔走したのが日本代表強化委員長だった宿澤広朗さんでした。天才ラガーマンであり、三井住友銀行では専務取締役にもなった宿澤さんが「日本のスポーツのなかでこれまでラグビーが存在意義を示してきたのにもかかわらず、そうした存在意義がなくなることに強い危機感を抱いている」と主張し、日本の実力を底上げするために「これはやらなければ」と強い気持ちで進めたのが「トップリーグ」です。

「トップリーグ」設立の中心になった宿澤広朗。早稲田大ラグビー部出身。卒業後は住友銀行(現三井住友銀行)に入行 ©文藝春秋

 宿澤さんは89年テストマッチでスコットランドから、そして91年W杯でジンバブエから歴史的な勝利を挙げた際の代表監督でもあります。95年、99年、03年のW杯で全敗したジャパンを見て「このままではダメだ」と立ち上がったんですね。2006年に55歳で急逝されますが、もし生きていればラグビー協会の会長になっていてもおかしくない方です。

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 この「トップリーグ」が日本代表強化のスタートになりました。

1989年~1991年まで日本代表監督としても活躍した宿澤 ©文藝春秋

「日本でW杯をやりましょう」――奥克彦の発想

 また2009年に2019年のW杯日本開催が決まったことも大きかった。「10年後の自国の舞台では絶対に良い成績を残す」――招致が成功したとき、日本のラグビー関係者みんながそう思いましたから。だからこそ、たとえ高報酬になるとしても、エディー・ジョーンズ、ジェイミー・ジョセフと海外から名将と呼ばれるヘッドコーチを呼ぶことをためらわなかった。