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人口12人の限界集落で起きた殺人放火事件「つけびの村」 犯人が膨らませた妄想とは

『つけびの村』(高橋ユキ)より

古い記憶が塗り替えられていく

 もうひとつ、面会で気になったのは、明らかに覚えているであろうことを「忘れた」と、ワタルが平気で言っていたことだ。関東で仲の良かった稲田堤の森さんのことを「仲良くない」と言い、殺害した貞森喜代子さんのことを「話したことない」と言っていた。誠さん(*)に胸を刺された時は、一緒に酒を飲んでいたはずではなかったか。古い記憶が塗り替えられているように思えて不可解だった。それは自分を守るために、脳の中で無意識的にダークな記憶を排除しようという働きが起こっていることによるのではないか。

*……貞森喜代子さんの夫

 一審で、5人の被害者に対して殺害行為を認めず「足を叩いただけ」と主張したワタルは、その時点で、自分の犯した殺人、放火の記憶を排除しようとしていたのだろうか。この点については山口地裁も、広島高裁も「近所の人がうわさ話をしている」こと自体、ワタルの妄想であると認定していた。

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 だが、それはちがう。

 この事件がやっかいなのは、本当に「うわさ話」が存在していたことにあるのだ。

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「ワタル」から「光成」に改名した理由

 私からの質問を大きな文字で印刷した手紙を送り、半月ほど経った頃、ようやくそれに関する返事が届いた。いつものように、くねくねとした文字がびっしりと書かれたA4の紙が2枚。今回は裁判の「資料」は入っていない。

 2009年に改名した理由について、ようやく答えがあった。

「名前は陶芸を本格的に始めようと思ったことと一から新しく出発しようと思いました。ひかりなり 光成」

 その陶芸も事件直前にはやめている。一から出発してどこに向かおうとしていたのか、何になろうとしていたのか。それを聞くのはこれからだ。

「事件が起きた理由」が語られるのは10年後

 金峰地区の生き字引、田村勝志さん(*)は「事件が起きたのには、理由がある」と言っていた。だがその真相は「10年後に話す」とまだ口を開いてくれない。いま、彼は88歳である。

*……存命の人物はすべて仮名

「金峰全員に関係する大きな問題がある。それは簡単には話せんよ。それは新聞にも出んし、報道もせんし、そりゃ分からんじゃったんじゃが、わしはそれは最近になって、はあ、それで殺されたんかちゅうのが分かった。

 すべての問題がそこから起こっちょるんよ。大きな問題ちゅうのがあるのよ。それはまあ、いつもいうように、子孫が生きてるからなあ、それらに影響を及ぼしちゃいけんから、ちょっと時間をおいて『10年経ったら話す』と決めちょる」

 せめて5年に縮めてはくれないかと何度も頼んだが、頑として首を縦に振ってはくれない。金峰地区で取材をしながら私はいつも、彼らが私にしてくれる「うわさ話」の細かさ、情報量の多さに驚きを感じていた。それは同時に、もし自分が金峰地区に住めば、この勢いで自分のうわさ話が集落に広まるであろうことも、容易に想像させるものだった。