「うわさ」だけが確かに存在していた
保見はその集落で生まれ育ち、中学卒業後に上京。左官として働いたのち、40代でUターンしてきた。当初は“村おこし”の理想に燃え、もやい仕事にも参加していたが、次第に閉鎖的な人間関係の中に充満する「うわさ話」にからめとられ、挑発行為や嫌がらせにあったというのが、当時マスコミを賑わせた“真相”だった。
「最初は、私も信じていました。でも結果的に、それは事実ではありませんでした」(高橋さん)
うわさや挑発行為、嫌がらせは本当にあったのか。取材のためにたびたび周南市を訪れ、さまざまな村人に話を聞いても、“挑発行為”そして“嫌がらせ”は確認できない。だが「うわさ」だけはたしかに存在していた。
「事件ノンフィクションの定石が打てない中、存在はあっても実体はない『うわさ話』にフォーカスすることで、事件のもうひとつの側面に迫れないかと考えました」(同前)
保見光成は、もともとの名前を「中」と書いて“ワタル”という。「光成」に改名したのは2009年のことだ。だがそれを、集落の人々が知ったのは、ワタルの逮捕後、事件報道によって、だった。
高橋さんは2017年、裁判所に「妄想性障害」であると認定されているワタルと、文通と面会を行なっている。事件前から当時までも、妄想の内容は変化し続けており、もはや当時、事件を起こした動機も、殺害した村人らにどういった感情を持っていたのかも、確かめることができない状態にあった。
同時に集落では、事件の起こるずっと前から、さまざまなうわさが飛び交い、事件後も空気のように漂い続けていた。「街宣車が来て心を入れ替えろと言われる」など、ワタルの感じていた“嫌がらせ”の詳細は荒唐無稽なものであったが、「うわさ」については、村人らと同じ情報を、面会時も保持し続けていたのである。
※9月25日に発売された『つけびの村――噂が5人を殺したのか?』(晶文社)から、すでに確定死刑囚となった保見光成……ワタルが、まだ未決囚だった当時に面会・文通した内容、集落のうわさの片鱗を綴ったパートを、著者および版元の許諾を得て抄録する。
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