南アフリカに敗れ、ベスト4はならなかったラグビーW杯日本代表。しかし、初のベスト8進出で旋風を巻き起こした。一方、財界に目を向けると出世を重ねて日本を支える元ラガーマンたちが数多くいる。なぜ彼らは出世するのだろうか――。
日本にW杯初勝利をもたらした宿澤広朗氏は優秀な銀行マン
ラグビー日本代表監督経験のある故・宿澤広朗氏もその1人だ。
「早大時代には日本最高のスクラムハーフとの呼び声も高く、日本選手権の連覇に貢献。日本代表にも選ばれました。住友銀行(当時)でのディーラー業務と並行して代表監督を務めると、91年には日本にW杯初勝利をもたらしました」(スポーツ紙記者)
監督として成果を出しつつ、本業でも常勝で知られた宿澤氏。業界内では異例のスピード出世を果たすと、49歳の若さで市場営業統括部長に昇進した。
「動物的勘でディーリングをして勝ち続けてきた人だと思われていましたが、実際は違います。考え方はものすごい理詰めで、理路整然と相手のレベルに合わせて話をしてくれる方でした」(経済部記者)
その手腕はディーラーとしてのみならず、チームのリーダーとしても遺憾なく発揮されたという。住友銀行OBが語る。
「不良債権問題に揺れ、業界全体が不安に包まれていたとき、『大丈夫だから、俺が絶対稼いでやるから』と言っていました。当時の西川頭取にも宣言していたそうです。実際宿澤の担当した部門が当時としては記録的な額を稼ぎ出したんです」
仕事に生かされた「決断力と胆力」
そんな宿澤氏の仕事ぶりには、ラグビーで得たフォー・ザ・チームの考え方が生きていた。
「一人のスタープレイヤーがいても銀行という組織では勝てない。一人ひとりが与えられた役割をしっかり全うしてくれないと、チームとしては勝てないよねと宿澤はよく話していました」(前出・住友銀行OB)
ディーラーとしての手腕については、関わりのあった別の行員がこう認める。
「少しでも損をするとすぐにバサっと損切りする。決断力と胆力でしょうね。リーダーのポジションになると、ものすごく指示が的確だったとも聞いています。その指示が出せるということは決断が早いんです」
決断力、胆力はラグビーに不可欠なものだと、山川出版社代表取締役副社長の野澤武史氏も語る。
「プレー中に判断をしなければならない局面が無限にあるのがラグビーの特性です。その中で一番しんどくて強い判断をしなければならない。経営も同じで最後はイエスかノーかの判断が求められます」
野澤氏は慶大時代に日本代表を経験。その後神戸製鋼でもプレーをし、現在はテレビ解説も務めている。