前回大会で関東学生連合チームとして5区を走った経験のあるエース格の相馬崇史(3年)は、当時をこう振り返る。
「自分も箱根駅伝を走ったあとから疲労もあってなかなか調子が上がらなくて。練習ができなくて、モチベーションも下がって……という感じでした。なんとなく自分の中での感覚と実際の走りがかみ合わなくて、それに伴って気持ちも沈んでいく状況で。そんな中で、全日本の予選会にも出られないということになって、これはちょっとまずいなと」
「本気で箱根を目指すの?」週5回、4時間のミーティング
予選会への出場すらできないという危機的状況に追い込まれた中で、チームが立ち返ったのは「本気で箱根駅伝を目指す覚悟があるのか」という根本的な要素だった。
相馬は言う。
「春から夏にかけて、それぞれの選手が本音をぶつけあって、その上で『じゃあ、どれだけ箱根に対して犠牲を払えるのか』という部分を考えたんですよね。もちろんみんな、練習を頑張ってはいるんです。でも、例えば普段の生活だったり、摂る食事だったり、睡眠時間だったり。『夜更かししていないの?』とか、そういう基本的な部分から、『本当にすべてを懸けて、箱根駅伝を目指せるの?』と。そういうところを話し合いました」
ミーティングは選手だけで行い、多い時には週に5回、各4時間にも及んだという。
「もう練習は二の次で、まずは集団としてまとまった意識を持てるかをずっと話し合っていました」
4年生を中心に約10人が離脱
話し合いを重ねる中で、駅伝よりもトラック種目に専念したいと考えた当時の駅伝主将をはじめ、4年生を中心に10人ほどの選手がチームから離脱。長距離部門の主力選手が文字通り二分されることになり、戦力的には大きな低下を余儀なくされた。
ただ一方で、それだけの犠牲を払ってなお、箱根駅伝を目指すという“覚悟”をもった選手たちの行動は、チームに好影響をもたらした。
例えば、他大学で取り入れているチームもあるが、目標管理シートの導入も行った。
「最初に年間の大きな目標を立てて、その後、その月々の目標を立てるんです。自分たちには大きく『箱根駅伝予選会』という目標があって、そこに対してどれぐらいの目標タイムが必要かということを明確にする。それに対して、いまどのくらいの実力なのかというのを考える。明確な目標があって、いまの自分の実力が分かれば、どれだけその目標に対して差があるかが分るじゃないですか。じゃあそれを具体的に、その差を埋めるためにどういう取り組みをしようというのを、ひとりひとり書き出して、紙にまとめるようにしました」(相馬)