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「目標」を食堂に張り出した

 まとめたものはミーティングの時にもちより互いに意見交換をするようにし、食堂の目につくところに張り出すようにしたという。

「そうすると普段の会話で『お前はいまこういう風に練習できているから良いんじゃない?』とか、書いたことができてなければ『こういう取り組みをプラスしたらどう?』という形で、自然と会話が出てくる。高め合いというか、普段から陸上に対してストイックな会話ができるようになりました。意識が本当にガラッと変わりました」

 弘山監督もこう振り返る。

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「今までは『箱根駅伝を目指す』と言っても、やっぱりゆるいところがあったんです。『まだまだ箱根を目指すチームじゃないんじゃないか』という自問自答を繰り返して、その結果、『本気でやるんだ』というメンバーが残って、活動を始めた。再スタートを切った感じですね。9月の中旬くらいには、『これはいったかな』という手応えがありました」

医学群ランナーも……一般入試組とスポーツ推薦組の「意識の差」

 筑波大の前身である東京高等師範学校は第1回目の箱根駅伝の優勝校だ。そんな背景もあり、長年箱根駅伝からは遠ざかっていた同大が「箱根駅伝復活プロジェクト」をはじめたのは2011年のことだ。2015年にはOBの弘山監督を呼び、本格的な強化をスタートした。しかし、ここまでの予選会では最高順位が17位となかなか結果が出せなかった。

 筑波大は国立大学ではあるものの、体育専門学群もあり、数は少ないがスポーツ推薦で入ってくる選手もいる。数多く選手を獲れる私立大学と比べた時のリクルーティングの厳しさはもちろんあるが、それでも高校時代などに実績のある選手が全くいないわけではない。

 難しかったのは、選手間の意識の統一だった。

 前述の相馬のように、駅伝強豪校から高い意識を持って一般入試で体育専門学群に入学する選手もいるが、予選会で好走した猿橋拓己(3年)は理工学群、川瀬宙夢(5年)は医学群と、体育専門学群以外の選手も多い。特に初期はどうしても実力や意識にバラつきが出るため、実力の有無にかかわらずひとつの目標をめざしにくい状況に陥りやすい。箱根駅伝という、ある意味で「高すぎる」目標を、それぞれの選手がどれだけ現実的に受け止めることができるのかが大きな問題だった。

左から西研人(3年)、猿橋拓己(3年)、金丸逸樹(4年)。予選会では金丸がチームトップの記録を出した。猿橋は理工学群で学ぶ ©AFLO

「正直、最初は意識の差があったと思います。国立大学ということもあって、もともとスポーツ推薦という形で入っている人はあまりいない。いろんな背景というか、いろんな形で来ている人が集まっている集団なので。そういうところでひとつになるというのは時間がかかったのかなと思います」(相馬)