いまから28年前のきょう、1989年2月24日、この年1月7日に崩御した昭和天皇の大喪の礼が、小雨のなか東京の新宿御苑で挙行された。

 大喪には国内外から約9800人が参列した。参列した国は164を数え、会場には、就任まもないアメリカのジョージ・H・W・ブッシュ大統領、イギリスのエジンバラ公(エリザベス女王の夫君)ら元首クラス、また国連のデクエヤル事務総長など国際機関の代表が顔をそろえた。

古装束姿の楽師の先導で葬場殿に向かう葱華輦 ©共同通信社

 このとき、昭和天皇のご遺体を納めた棺は、皇居から新宿御苑まで「轜車(じしゃ)」と呼ばれる自動車で運ばれている。しかしこれをめぐっては、準備段階でちょっとした論争があった。衆院議員の亀井静香と平沼赳夫が、内閣官房長官の小渕恵三(のちの首相)のもとを訪ね、轜車は伝統にのっとり牛に牽かせるべきだと訴えたのだ。

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 2人の主張に小渕は「牛が暴れたらどうするんだ」と取りなすも、平沼は「自分の地元の岡山には静かな牛がいる」などとなおも食い下がる。それでも小渕は「平沼君みたいな暴れ牛じゃあ困るんだよ」と笑いながら相手をしたという。

 このエピソードは、このとき官房副長官だった石原信雄が後年明かしたものである(『文藝春秋』2012年2月号)。石原によれば、新宿御苑に着いた轜車から、棺を「葱華輦(そうかれん)」という神輿の一種に移すにあたり、その担ぎ手を手配するのにも問題が持ち上がったという。それは、葱華輦は代々、京都北部の八瀬の里に住む「八瀬童子(やせのどうじ)」と呼ばれる人々が担いできたが、少子高齢化が進み、当地にはこのころ若者がいなくなっていたことだ。結局、皇宮警察が代わりを務めることになる。

古装束姿の楽師の後をゆっくりと武蔵野陵に向かう昭和天皇のひつぎを乗せた霊車 ©共同通信社

 ちなみに1927年2月の大正天皇の大喪では、皇居から新宿御苑まで轜車が牛に牽かれ約2時間半をかけて進んだ。これが昭和天皇の大喪では約40分となる。ただし、新宿御苑から八王子の武蔵陵墓地まで棺を運ぶのに要したのは、大正天皇のときは鉄道を用いて約2時間、昭和天皇のときは中央自動車を経由して約1時間40分と、その差はわずかだった。