いまからちょうど60年前のきょう、1957年2月25日、第1次岸信介内閣が発足した。前任の石橋湛山はその1月に病床に就き、31日には外相だった岸を首相臨時代理に指名すると、公務に戻らないまま、2月23日、在任わずか2カ月で総辞職を決めた。岸内閣は、石橋内閣の閣僚を全員留任させて発足する。このとき岸は60歳だった。

岸家の人々。右端・岸信介にだっこされてるのが安倍晋三 ©文藝春秋

 岸の孫である安倍首相が今月渡米し、フロリダ州にあるトランプ大統領の別荘で首脳同士、ゴルフに興じたことは記憶に新しい。岸もまた、就任4カ月後の6月に訪米した際、当時のアイゼンハワー大統領と首脳会談のあいまにゴルフをしている。

 日米安全保障条約の改定を政権最大の目標とした岸は、このとき「日米新時代」をキャッチフレーズに掲げて会談にのぞんだ。アイゼンハワーとのゴルフもその演出の一環だった。舞台となったのは、ワシントン郊外の名門バーニング・ツリー・クラブ。アイゼンハワーは通訳の松本滝蔵と、岸は上院議員のブッシュとそれぞれペアを組んでコースを回った。なお、その名をプレスコットというブッシュ議員は、第41代大統領のジョージ・H・W・ブッシュの父にして、第43代大統領のジョージ・W・ブッシュの祖父にあたる。

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 結局このときのスコアは、グロス(ハンディキャップを差し引かない打数の総計)でアイゼンハワー84、松本98に対し、岸99、ブッシュ83と、引き分けに終わる。試合後、岸はアイゼンハワーにシャワールームへ案内され、一緒にシャワーを浴びたことから、「裸のつきあい」と話題を呼んだ(岩川隆『巨魁 岸信介研究』徳間文庫)。

ワシントン郊外のバーニング・ツリーCCでゴルフに興じる岸信介(手前左)と、右端からアイゼンハワー、松本滝蔵、プレスコット・ブッシュ ©getty

 日本では長らくゴルフは金持ちのスポーツというイメージが強かった。それがまさにこの1957年、埼玉の霞ヶ関カンツリー倶楽部でカナダカップ(のちのワールドカップゴルフ)が開催され、中村寅吉が小野光一とのペアで団体優勝、個人でも優勝したのをきっかけに第1次ゴルフブームが起こったとされる。

 霞ヶ関カンツリー倶楽部は、2020年の東京オリンピックのゴルフ会場にも選ばれた。しかし規定で女性の正会員を認めていないため、現在、IOCより見直しを求められている。ゴルフ界では一方で、松山英樹の活躍がめざましい。今月5日には、米PGAツアーのフェニックス・オープンで昨年に続き2連覇をはたし、日本選手初の4大大会での優勝も期待される。ちなみにきょうは、その松山の25歳の誕生日でもある。

松山英樹、25歳に ©共同通信社