東京大学の野球部で4番打者を務めた児玉光史さん(40歳)は、農学部を卒業後、都内の一部上場企業に就職した。年収は約700万円。ところが、その恵まれた待遇を捨てて、実家のある長野県でUターン起業をした。一体なにがあったのか。本人に聞いた——。
東大出身者はなぜ東証一部上場企業を辞めたのか
東京大学の卒業生は、都内でステータスの高い職業に就いている人が多い。だが、そうした生き方が幸せだとは限らない。東京を離れて、新しい仕事を始める人もいる。児玉光史さん(40歳)もそのひとりだ。
児玉さんは長野県有数の進学校である上田高校から一浪して、東大理Ⅰに入学。農学部に進み、卒業後は、東証一部上場企業である「電通国際情報サービス」に就職した。同社は、海外のソフトウエアや自社開発のシステムを組み合わせて、企業にITサービスを提案する会社だ。
児玉さんはキヤノン、エプソン、ソニーなど大企業を顧客とする優秀な営業マンとなった。給料も年収約700万円と悪くなかった。だが、サラリーマン生活を4年続けた頃、「俺はこのままでいいのか」と自分の今後の人生について迷うようになった。
自分は長男であり、父親は長野でアスパラガスの兼業農家を営んでいる。それを放っておいていいのだろうか。東大農学部で学んだことを生かせないのか。そんな思いが高まったのだ。
「もやもやした気持ちを抱えながら、1年くらいプー太郎のような生活していました。その後、実家が農家という仲間をウェブで募って、東京・自由が丘で野菜を売りました。また農業の現状視察をしたくて農家に手伝いに行ったり、農業ベンチャーの会社でバイトをしたりして。おかげで小売りや流通の流れを肌で感じることもできました」
モラトリアムのような生活が6年ほど続いた。そろそろ腹をくくらなければ、と思っていた2012年、「結婚式の引き出物」に疑問を抱いた。さっそくカタログギフト事業を手がける「地元カンパニー」という会社を渋谷で立ち上げる。4年後には、「地元・信州で仕事をやりたい」と考え、会社を出身地の上田市内の武石という集落に移転した。新幹線の上田駅から車で1時間ほど、オフィスからコンビニまで歩いて1時間弱はかかる「山奥」に、だ。