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「スタンディングは僕のアイデアですね。動きやすいし、腰痛予防にもなるんじゃないかなって。デスクにもキャスターがついています。僕がDIYで作りました。われながら、働くにはいい環境の会社だと思います」

妻も同じ職場で働く。自分も18時には帰宅して、子守をして料理を作って皿洗いしたり掃除洗濯したり。子供は4歳と2歳で、昼間は保育園に預けている。

公私ともに充実したUターン起業家ライフを満喫している児玉さんだが、利益至上主義な考え方は毛頭ない。

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「昔から自分一人でやって儲けることはなんの面白みも感じないんです。自分の給料を上げたいというのは全然ない。家とか車とか物欲もないので。仲間や社員、いろんな取引先とかと一緒に成長していきたい」

東大時代の友人は、都内でバリバリ働き、高収入を得ている者も少なくない。だが、児玉さんは彼らをうらやましいとは思わない。自分は地元の仲間とともに地に足をつけた生活を歩んでいきたいと考えている。

ビジネスで大切なことはすべて東大野球部で学んだ

そうした考え方の原点は東大野球部での経験だ。

高校時代も野球部だったが半レギュラーだった。だが、大学では1年春から公式戦に出場、2年春からレギュラーに定着し、4番を任された。のちにプロ野球選手となる投手からホームランをかっ飛ばすスラッガーになったのだ。

「(大学4年間の公式戦で)トータル70試合ぐらいに出て、通算ヒット数は61本。東大では史上2番目に多い。ホームランも計5本。これも東大野球部史上2番目です」

ただ、東大の野球部で学んだことはバッティングの技術的なことだけではない。

「東大野球部という集団の中では主力選手になれましたが、ご存じのように東大は弱いから全然勝てません。『みんなで協力しようぜ』と言ってもうまくいかない。部員は偏差値が高く、みな弁が立つから扱いにくい。負け続けると組織はまとまらないんです。(春と秋の)リーグ戦全20試合のうち1勝をどう挙げればいいかと考え続けました。4年生の時に立教大にやっと1勝した時は、こんなにうれしいことが世の中にあるのかと思いました。仕事でも集団としてそんな感激を味わうのが目標です」