壊れていく父と顔を合わせるのが怖かった
叫ぶようなことはなくなったが、一方で心身の状態がみるみる悪化した。飲み込みが悪くなって通常の食事がとれない、便秘がつづく、表情が乏しくなる、ふつうの会話が理解できない……。ふと気づくと、精神科病院で目にした患者たちと同じように、父から生気が失せている。
そんな父と顔を合わせるのは怖かった、そう啓治さんは振り返る。不気味な父の姿を目にすると、「自分のほうに負のオーラが降ってくるような感じ」でぐったり疲れてしまう。
「あのとき紹介された病院に入れたほうがよかったと、正直何度も思いました。悪い言い方になっちゃうけど、人間じゃなくなっていくような状態を目の当たりにすると、先行きへの不安や恐怖を感じてやっぱり大きなストレスなんですよ」
叩いたり蹴ったり、虐待を平然と行うようになった母
壊れていくかのような父に困惑し、一方で惨めさと悲哀も感じながら介護の日々がつづいた。月日の経過とともにケアマネの交代やあらたなケアプラン(介護計画)ができたが、支援体制の充実に反比例して家族の状況も変わっていく。
啓治さんには建築不況や銀行の貸し渋りなど仕事上の危機があり、慢性的な頭痛や狭心症などの持病を抱えた。長く子育てと父の介護を両立してくれた妻は自律神経失調症になり、不眠や円形脱毛症に苦しんだ。
さらに母にも問題があった。父へのいじめがひどくなり、誰も見ていない隙に叩いたり蹴ったりする。寝ている父の頭を持ち上げてドスンと落とす、手首をつかんで逆側にひねろうとする、そんな虐待を平然と行うようになった。
母は平気で人を傷つけるようなことを言うようになり…
母による虐待行為を防ぐためショートステイ(短期入所生活介護=特別養護老人ホームなどに数日宿泊して介護を受ける)を利用しつつ、何ヵ所もの介護施設へ入所申し込みをした。2014年、病院を併設する有料老人ホームに父を入所させることができたが、一人暮らしになった母の様子はますます変わっていった。
「平気で人を傷つけるようなことを言って、まわりの人間を不快にさせる。止めても『私は間違ってない』って反応で、頑として非を認めないんです」
たとえば啓治さん夫婦が母を外食に連れ出す。こちらが「おいしいね」と言えば、「量が多すぎる」、「値段が高いのにまずい」などと周囲の客にも聞こえるような大声を上げる。あわてて止めても「ほんとのこと言って何が悪いんだ」と怒り出し、火に油を注ぐような状況になってしまう。
親孝行のつもりで母の日に高価な果物を贈ると、「こんなぜいたくをして。バカじゃないか」と吐き捨て、といって手ごろなお菓子でも渡すと「どこにでも売ってるものだからいらない」と突き返される。足が不自由な母を案じて代わりに買い物をしてやると、「食べたくないものばかり買ってきて」と文句。それなら買ったものは持ち帰ると返せば、「何も食べるものがない。私に飢え死にしろと言うのか」と大騒ぎだ。
息子の啓治さんでも不愉快になるのだから、義理の関係の妻にしたら到底平静ではいられない。以前から悩んでいた円形脱毛症がひどくなり、激しい動悸などの不安発作も起こるようになった。