「恨みがあっても逃げれらない!」高齢の「毒親」に介護が必要になったとき、かつて虐待を受けた子どもはどうすればいいのか? 毒親との関係に悩む人たちの生々しい声を紹介し、その実態や心の内に迫った『毒親介護』が発売されました。老老介護の破綻により職を失い同居することになった女性の“ケース5”をお届けします。(#1「要介護状態になった「毒親」を捨てたい──50歳の息子の葛藤」 #2「気力、体力、財力が充実した『ハイブリッド老婆』に苦しめられる長女」 #3「うつ、パニック障害を抱え、老親の年金で暮らす独身姉妹の絶望」#4「母親から父親への虐待がはじまった。壊れていく両親を看る息子の葛藤」より続く)

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年収600万円を稼ぐ売れっ子美容師だった

 東京湾に面した千葉県南部、駅舎からつづく商店街にはシャッターを下ろした店舗が目立つ。以前は買い物客で賑わったという通りも今は人影まばら、色あせた看板やネオンサインがいっそう寂れた雰囲気を醸し出す。

「このシャッター商店街を見るとね、自分の今の生活と重なっちゃうんですよ。あー、もう社会に必要とされてないんだな、誰も見向きもしないだろうなって。あと何年、介護がつづくかわからないけれど、終わったころには精根尽き果てて、お金も残ってないかもしれないですよねぇ」

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 村本朋子さん(56歳)は薄く笑うと、荒れた手指をさすりながらため息をつく。かつてはその手指を使って、年収600万円を稼ぐ売れっ子美容師だった。それが今では化粧もヘアケアもせず、着古したTシャツ姿で介護に追われる日々。両親はともにアルツハイマー型認知症で、85歳の父が要介護1、80歳の母は要介護2だ。

74歳だった母が両手首を骨折し入院

 東京の美容サロンで雇われ店長をしていた朋子さんの生活が一変したのは6年前、50歳のときだった。当時74歳だった母が階段で転倒、両手首を骨折し入院したことにはじまる。

©iStock.com

 もともと朋子さんの両親は理容師で、商店街の自宅兼店舗で理容店を営んでいた。母の入院時は開店休業状態だったため当人の仕事に影響はなかったが、朋子さんのほうは働き盛りで責任のある立場だった。

「知らせを受けて、ひとまず数日のつもりでお休みをもらい、実家に戻ったんです。でも入院中の母は『家に帰る』とか、『ここにいたら変なことされる』とか、やけに興奮してわぁわぁわめいている。あとから考えれば、そのときすでに認知症がはじまっていたんでしょう。ただ私はずっと離れて暮らしてたし、過去の暴力的な態度のこともあったから、単にイライラを発散しているとしか思えませんでした」

 朋子さんが言う「過去の暴力的な態度」とは、子ども時代にさかのぼる。

竹の物差し、木製のハンガー、鉄のフライパンで叩かれていた

 父は寡黙でマイペース、一方の母は気が強くて男勝りだった。商売としてはバランスの取れた夫婦だったが、家庭の中では「無関心な父とキレやすい母」に変わった。とりわけ母はしつけと称し、幼い朋子さんにしばしば暴力をふるった。

「ご飯を食べるのが遅い、不貞腐れた顔をした、生意気なことを言った、理由はなんでもアリなんです。うちの母の場合、素手ではなくモノを使うんですよ。よくしなる竹の物差しとか、木製のごっついハンガーとか、ときには鉄のフライパン。そういうモノで太ももやふくらはぎ、背中やお尻を何十回も叩かれました」