1ページ目から読む
4/4ページ目

父が退院し自宅での療養がはじまるも、失禁、大声…

 父の主治医に母の様子を話してみると、かかりつけの病院で診察を受けるよう勧められた。朋子さんもそのつもりでいたが、当の母は「お父さんが退院してから」、「私はどこも悪いところはない」などと言うばかりで一向に動こうとしない。

 そうこうしているうちに父が退院し、自宅での療養がはじまる。経過は思わしくなく、下痢と便秘を繰り返してげっそり痩せ、次第に精神状態も不穏になった。おまけに下痢のときにはトイレが間に合わず、ときどき失禁してしまう。その失敗がさらにストレスを招くのか、急に大声を張り上げたり、モノを投げつけたりする。

 やむなく朋子さんは住んでいた都内の賃貸マンションを引き払い、本格的な同居生活をはじめた。

ADVERTISEMENT

「長期戦になるかもしれないと思いながら、そのときはまだ前向きな気持ちでした。美容師としての技術と経験には自信があったし、フルタイムは無理でもパートなら働けると。親への感情は決していいものではなかったけれど、だからこそ早めに介護体制を作って、できるだけ他人に任せようと思ったんです」

©iStock.com

 寂れた街での再スタートに不安はあったが、自分ひとりが食べていく程度はできるだろうと考えた。そもそもなにかしらの手段で収入を得なければ、今後の生活が立ち行かない。

 実家に戻れば近所の人や古くからの友人など顔見知りも多く、地元の介護情報も手に入りやすい。実際、友人から地域包括支援センターに相談するよう教えられた。

調査員との面会も病院での診察も頑なに拒む母

 朋子さんは早速出向いて両親の今後について相談した。その結果、介護保険の申請をするよう勧められ、必要な手続きについて説明を受ける。説明を要約したパンフレットも渡されたが、目を通しながらその内容の一部が気になった。〈介護認定調査員が本人の心身状態や生活状況を訪問調査〉、〈主治医の意見書〉などの文言に嫌な予感がする。予感は的中し、母は調査員との面会も病院での診察も頑なに拒んだ。

 それからしばらく経った夜、朋子さんは母と殴り合いのケンカになり、ケガを負わせてしまう。母はケガの治療のため病院を受診し、思わぬ形で「主治医の意見書」を手にすることができた。何度かの軋轢がありながら調査員との面談もクリアした結果、母は要介護2、同時に申請手続きを進めた父のほうは要介護1と認定された。

 とはいえ、介護認定が出てからも次々とトラブルが生じた。母はデイサービスの利用を拒み、「ゴキブリがいる」などという理由で電化製品を壊す。一方の父は使用済みのオムツパットをトイレに流し、配水管を詰まらせた。

 トラブルのたびに出費がかさむが、両親の介護に追われる朋子さんは仕事を再開できない。右肩下がりで減っていくお金、社会から取り残されるような孤独感、自身の老後への不安、さまざまな葛藤を抱えながら介護生活はすでに5年が過ぎている。

毒親介護 (文春新書)

石川 結貴

文藝春秋

2019年11月20日 発売