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――段階がある。

都築 ええ。『24時間テレビ』が始まった当初は、プロデューサーたちにも偏見があって、「障害者を映すなんてとんでもない、視聴率が下がる」「スポンサーが逃げるからやめろ」なんて言われていたんですよ。そんな時代に視聴者が関心を持つ形で障害者を画面に出せたら、それが必ずしも社会モデルと合致する表現でなかったとしても、「前進」と言って良かったはずです。

主演の俳優目当てでも、関心を持ってもらいたかった

――当時は、医療モデルや社会モデルを論じる以前の状態であった、と。

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都築 そう思います。当時、マイノリティを題材にした問題提起のドラマもいくつも制作しましたけど、今よりもマイノリティへの関心が低い時代ですから、視聴率が良いと新聞が「こんなものが視聴率取れるなんて」と驚きの記事を載せるくらいだったんですよ。

 

 たとえば、韓国人徴用工と日本人の夫婦が、サハリンで終戦を迎えて無国籍状態になってしまう理不尽を描いた『愛と哀しみのサハリン』。いわゆる「サハリン残留邦人」を取り上げたドラマなんですけれども、視聴率16.8%を記録したんです。

 最初は主演の斉藤由貴や加勢大周目当てだったかもしれないけれども、こんなマイナーな問題を取り上げたドラマに、若者が関心を持ってチャンネルを合わせてくれた。そして、心を動かされた。それって、いいことじゃないですか。むしろ、「感動ポルノ」と揶揄されて取り上げる機会を失い、社会問題や、差別されていたり、疎外されていたりする人たちが覆い隠されることのほうを、僕は懸念しています。

――都築さんのおっしゃることも一理あると思います。ただ、私は障害者当事者ですが、福祉番組であるとか、特別な理由がつけられてようやく障害者が取り上げられるようでは、まだまだ障害者の存在が可視化されていると言えないと思っています。

 たとえば、私は特別な理由なく、身体障害者がテレビ局の”顔”であるアナウンサーを務めるような世の中になってほしい、と願っているんです。