漢字が読めない里奈は、辞書を買って読んでくれていた
里奈を僕に紹介してきたのは、知人の風俗系広告代理店の営業さん。彼からは、里奈はほとんど小学校にも通えない生い立ちで常用漢字の多くを読むことができなかったにもかかわらず、僕の本を読むためだけにブックオフで辞書を買って、読み切ってくれたのだと聞いていた。
カバンからボイスレコーダーを出し、こうした少女やアウトローへの取材の常となっていた宣言から始めた。
「一応声は録音するけど、話したくないことがあったら話さなくていいよ。録音されて困ることは、駄目って言ったらその場でレコーダーの電源切るから。あと録った音声はすぐに文書にして、データは消すから安心して」
そんな僕の定型句を、なぜか彼女は俯きがちにカタカタ貧乏揺すりをしながら、苛ついた感じで聞いている。
「別に録られて困ることとかねーから」
呟くように言って、アイスコーヒーの氷をすごい勢いで噛み砕いた。
見た目とはあまりに違う、掠れて低いが芯の通った強い口調。見た目の印象とのギャップに思わずその顔を見ると、里奈は大きな瞳を見開いて、睨むようにこちらを見据えていた。
「読んでガッカリしたよ。なんなん?」
「あたし、鈴木さんの本読んで、言いてぇこといっぱいある。読んでガッカリしたよ。なんなん? カタログでも作りたかったんかい。鈴木さん、難しい言葉とか使って、あたしらのこと可哀想だとか思ってるんだったら、ほかの大人と一緒だ。たぶんあたしら、可哀想とかも思われたくもない。そりゃ逃げてきたって場面もあっかもしんねぇけど、もともと糞みてぇな居場所なんかこっちから捨てて来てんだよ。話したら長ぇけど」
「カタログ?」
「そうだ。不幸少女のカタログ」
少し単語の語尾があがる北関東風イントネーションの巻き舌。僕の書いた本にそんな感想を言われたことは初めてだった。
『家のない少女たち』は、僕の初めての単著で、虐待や貧困など崩壊環境の家庭や居づらい施設養護の場から緊急避難的に路上に飛び出し、生きるために売春をしている少女らを取材して書き上げた本だった。
取材の端緒は、東京都心において夏休みなどを中心に「プチ家出」と言われる少女らの存在が増え、90年代の援助交際などと同様の社会現象として語られるようになったこと。その当事者の取材を重ねるうちに、「プチ」じゃない少女らがその中に混在していることに気づいたのが、取材を継続した理由だった。