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生死の間際をさまよい「悔いを残さないものを書きたい」

――それで心筋梗塞で倒れてしまったんですよね。それが2003年。

横山 『クライマーズ・ハイ』の連載中でしたね。最終回を書いたのは心筋梗塞の後でした。ともかく筆が追いつかないので睡眠時間をどんどん削って、最後は1日2時間まで切り詰めて。1月4日に締切があったんですが、大晦日に本当に体がしんどくなって、どうしても家に帰りたくなった。頭はフラフラ膝もガクガクで歩けない状態だったので車を運転してもらって帰って、31日はそのまま爆睡してしまいました。で、こりゃヤバイと元旦から書きはじめて、2日と3日は徹夜して、4日に編集者に電話をして切った直後に胸がもわっとした。救急車の中で心室細動に陥り病院についてAEDでドーン。火傷みたいな胸の赤い痕が半月も消えませんでしたから、限界までかけたんでしょうね。実際、何度も強いショックで目覚めた記憶があります。びっくりしたんですけど、お花畑がきれいでね。あれ、ほんとなんですね。自分の両目の中から列車みたいにお花畑が出てきて視界いっぱいに広がっていく。かと思うと大声で「よこやまさーん」と呼ばれてね、目を開けるとお医者さんと看護師さんの顔がどアップで。また意識が飛んでお花畑に見とれているとAEDでドーン。それでも幸運が重なってね。当時の自宅がその名もズバリの心臓血管センターに近かったことと、たまたまその日、スーパードクターとして知られるカテーテルの名医が当直でいらしたこと。おかげで命拾いしました。

 今思うと、あれを境に書く時の気持ちが変化したように感じます。「社会的な死」を恐れて締切を守ることばかり考えて書いていましたけど、「現実の死」を覗き見て、悔いを残さないものを書きたいというか、1行1行への執着心が強まったというか。その後に手がけた『64』の書き直しにあれほど時間がかかったのも、あの経験があったからかもしれません。作家としての第1期と第2期。あるいは前期と後期。いずれにしても後戻りはできない気がします。

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――あの、なんとなく触れずにきましたが、『半落ち』の直木賞の騒動があったのが2002年でしたね。設定について作者の誤認を指摘されたけれども、ご自身で再調査して事実誤認はなかったと確信して直木賞と決別したという……。

半落ち (講談社文庫)

横山 秀夫(著)

講談社
2005年9月15日 発売

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横山 もう自分の中ではすべての局面をきちんと分析した上で、箱の中に収めてあります。感情的なまま放ってあるわけではないですよ。

――分かりました。それにしても何事もとことんやる方だなあ、と改めて。

横山 ゼロか100か、です。やらないことは、とことんやりません。

――どんな小説を書く時でも、これだけは心がけている、というものはありますか。

横山 いくつか決め事はありますね。まずはそう、小説で世の中に復讐してはならない、ですかね。となると原理主義的にはその逆も言わなきゃいけなくなって、小説で世の中に報いてはならない、になるのかな。

――小説で世の中に報いるというのは、どういうことでしょうか。

横山 特定の誰かのためとか、特定の団体のため、特定の運動のために書くということ。まあ、それは論外ですけどね。問題なのは、というか悩ましいのは、中間管理職の人たちのためにとか、社会弱者のためにとか、自分を嫌っている人のためとか、当然報いたいわけですけど、そもそも小説に公益性はあるのかとか、報いることで小説が失うものは何かとか、報いずに結果として報いるにはどうしたらいいかとか、最近やたら考えて頭がぐちゃぐちゃで。というか、これ本当に著者と90分ですか? 延々喋ってなんだか頭がボーッとしてきたんですけど。まあそれはそれとして、ともかく記者時代はすっきり整頓されていた頭が、作家になってからはずっとぐしゃぐしゃです。

――そのぐしゃぐしゃから新たな小説が生まれるのかもしれません。

 

横山 だったらいいんですけどね。まあ、そうですね、死ぬまでに書くべきことはもうすべて頭の中にあると思っていますよ。もちろん書く時は補足が必要ですし、今日も明日も新たな吸収はしていくわけですけど、でもこの先、自分の人生観を変えるような出来事や強い執筆動機をもたらす出来事が起こるかどうかなんてわかりませんからね。そんな不確実なものを待って、アテにして作家を続けるなんて無謀すぎますしね、きょろきょろネタを探しはじめたら前兆というか、もう終わりの始まりというか、なので死ぬまでに書くことはストック済みと信じるというか言い張るというか……。

 なんか、あの喋ってること、ぐしゃぐしゃになってませんか? 私ね、もともと脳と口の繋がりが悪いんですよ、だから書いているというわけで……。ああ、おそらくこれから群馬まで帰って、もっとこういう風に話せばよかったとか、ウンウン思うんだろうなあ……。

――以前インタビューで「消し去りたい過去は?」とうかがったら、「過去のインタビュー」とおっしゃっていましたね(笑)。「もっとうまく話せたのに……といつも後悔するから」って。

横山 確かにインタビューは全部消したい。これは特に私のあずかり知らないネットに載るわけで、10年後とかでも読めちゃうんでしょう? 喋ったことは10年経ったら時効ってことにしてくれればいいのに。

――じゃあ、もしもこの連載が続いていたら、10年後にまたインタビューして更新しませんか。

横山 『64』以降1冊も出していなかったりして(笑)。

――それは嫌です(笑)。