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思い出したくない自分もまるごとひっくるめて自分

――『震度0』の時は。

震度0 (朝日文庫 よ 15-1)

横山 秀夫(著)

朝日新聞出版
2008年4月4日 発売

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横山 これはですね、物理的な距離の冷徹さと心の距離をオーバーラップさせた作品です。地球の裏側でどれほど大変なことが起こっていようとも、今朝の会議のプレゼンのほうが大切。テレビのニュースを一瞥して会社に走る。そんなどこにでもある日常風景を、警察組織の上級幹部に投影したらどうなるか、と。

 あまり好ましい結果にはなりませんでしたね。N県警は震災の震源地から700キロの設定ですが、上級幹部に情報は届いても阿鼻叫喚は届かない。警務課長が謎の失踪を遂げ、そのことが被災地への心の距離をさらに遠のかせている。その一部始終をつぶさに観察するために、「コップの中の嵐」のコップの形から作り上げたようなところがありました。場面は部課長室と幹部官舎のみ。人物をやや戯画的に、また露悪的に描いたのには、読者への問い掛けの思いもあったからです。何が許せて、何が許せないのか。

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 それにしても、こうした登場人物の多い作品を書き終えた後にいつも思うことですが、すべての登場人物のキャラクターを足し合わせて1つにして、やっと1人の人間だなあ、と。『震度0』に登場する上級幹部の中にも被災地との心の距離を縮めようとしている人がいます。どれほどプレゼンが大切でも、ふと足を止め、テレビの中の地球の裏側の大変さに見入ることだってありますものね。

――『出口のない海』(2004年刊/のち講談社文庫)では、戦時の人間魚雷、回天の話を書かれていますね。横山作品の中ではとりわけ異色です。

出口のない海 (講談社文庫)

横山 秀夫(著)

講談社
2006年7月12日 発売

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横山 異色ですか? 軍隊は究極の組織体ですから、ある意味、私の作風の根っこのように思ったりしますけどね。いや、実はこれ、もともとは漫画でやってたんですよ。例の『少年マガジン』の戦争ドキュメントで。回天の搭乗員だった故人のご著書をもとにシナリオを起こして、別の元搭乗員の方々の話を参考にしつつ漫画化したんです。そうしたら結構反響があって、気を良くした編集者がこの漫画を若者向けのノベルズにしてくれないか、と。それはいいけど、でも漫画をそのままノベライズ化したら、もとの故人のご著書に戻ってしまうわけで(笑)。そこで故人には脇役に回っていただき、新たにモデルのいる主人公を立てて書いたのがノベルズ版『出口のない海』です。

 ただ、この本はまったく売れず、私としては、執筆期間が短かったり、枚数制限もあったりして、すごく未練の残る仕事でした。なので作家デビューした後、改めて出したいと編集者に頼み込み、大人が読んでも堪えうる作品にすべく時間をかけて徹底的に書き直しました。ノベルズ版では、故人は実名でしたが、小説の自由度を広げるために遺族の方の了解を得て変更させていただきました。もちろん故人の体験と心の叫びは最大限生かし、その結果、フィクションとノンフィクションが混在した作品になりましたが、単行本『出口のない海』を世に送り出した時は本当に嬉しかった、改造した魚雷に乗り込み、視界を閉ざされた海中を走り、敵艦に突っ込む瞬間をただ待つ。回天特攻の事実は、もっと多くの人に知ってほしいですね。

――『64』の単行本を刊行した時に、改めて組織と個人が自分にとって大きなテーマであると認識した、とおっしゃっていましたね。

 

横山 純然たるプライベートの自分だけが本当の自分だ、みたいな考えが苦手なんですね。朝起きた時から夜寝るまでのすべての局面における自分が自分であって、見たくない自分も思い出したくない自分もまるごとひっくるめて自分だと認めないと、せっかくの人生が嘘くさくなってしまう気がするんです。とりわけ仕事はそうで、組織人、職業人としての振る舞いのすべては個人に帰するわけで、あれはかりそめの姿、これもかりそめと切り離していったら、それこそ本当の自分なんて消滅してしまう。常々そんなふうに思っているので、組織が個人に及ぼす有形無形の影響を無視して小説を書けないんですね。

――時効を扱った作品が多いですよね。法律が改正されて、今後作品世界はどうなるのかな、と心配であったりもします。

横山 犯罪被害者や家族、遺族にとってみれば、そもそも時効なんて制度は馬鹿げた発明でしょうが、まあ、物語世界のことで語らしてもらえば、時効はやはり魅力的なファクターですよね。犯人にとっても捜査員にとっても、ゼロか100かのドラマが生じますからね、そうは言っても15年時効は『64』を書いている最中に撤廃され、単行本を出すときはちょっと心配でしたね。「まだ時効書いてんのかよ、横山は」とか言われそうで。でも実際にはそういう声は聞こえてこなくて、物語というものの強みを再認識したというか。まあ、『陰の季節』なんかさらに古くて、「防犯部」とか「外勤課」なんて出てきますし、『深追い』(2002年刊/のち新潮文庫)に至ってはポケベルですからね。でも今でも読んでくれている人がいて、ふざけるなと怒る人もいないようですから、時効あたりはまだまだ賞味期限切れとは言えないのかもしれませんね。

深追い (新潮文庫)

横山 秀夫(著)

新潮社
2007年4月25日 発売

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