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 実際、私も親族の介護がエクストリーム状態になっているので毎日走り回って各所訪問している状態ですが、頭のしっかりしているうちに「いまこういう状態だから、いざというときはここの病院や施設に相談してあるからね」と説明をしています。それどころか、延命治療をする、しないという点は、患者団体の言う死を連想する以前の問題を話し合う必要があるわけです。

 私だって、一時期は急性期から一応は脱して自宅に帰った母親とは「なあお袋。次に救急搬送されそうなときは、悪いけど心臓マッサージとか蘇生をお願いしないようにするかい」「どうせ駄目なら自宅で迷惑かけずに死にたいからねえ」という会話を普通にしていますし、究極にはその人の死に様をどうするかの話ですからね。そこに治療の苦しみとか、死への恐怖などというものも当然想定しつつ、その人の死に方を本人だけでなく家族みんなで整理していかなければなりません。

「薄っぺらい」ってどういうこと?

 さらに、小藪さんの例はまだ家族が駆け付けられている前提ですけれども、親に先立たれて結婚をしていない人や、親戚と疎遠になり、「人生会議」したくても会議先がない人たちなどたくさん出てきます。病気に直面したときに抱える苦悩や境遇は人生の数だけ類型があるのであって、病院にこれらの啓蒙を行うポスターひとつとって「薄っぺらい」とか患者団体が批判する意味がよく分からないんですよね。

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©iStock.com

 で、官公庁のポスターって、いつも思うんですけれどもタレントさんがキリッと顔出しして「覚せい剤は犯罪です」「ストップ痴漢」とか毒にも薬にもならない啓蒙の内容になっていたりするんですよ。あれを見て「あっ、痴漢はいけないんだな」と思う性犯罪者はどれだけいるのでしょうか。

 いろんな人が簡単にいちゃもんをつけた結果、その告知や啓蒙の内容や手法がどんどん無難で穏便で誰からも批判されないように作られるようになった結果が、誰から見ても何も意味を感じられない、でも頼まれた業務はしている感だけはあるお役所仕事が敗戦処理のように残っているのではないかと思うんですよね。

 むしろ、薄っぺらいとまで批判された小籔さんはブチ切れるべきだと思います。俺、ポスターの中だけど死にかけてるんだぞ。お前ら、俺が死にかけてるポスターを見て薄っぺらいとは何事か。クレームをつけてきた奴は百年後に無事心停止しろぐらいの文句を言ってよいのではないかと感じるんですけれども、そのままそっとポスターもPR動画もなくなってしまうのでしょうか。

「宇崎ちゃんは遊びたい!」ポスターはセクハラか

 一方で、先日献血ルームに掲示されていた「宇崎ちゃんは遊びたい!」のポスターも問題になったまま、ずっと燻ぶっています。こちらも、服着た二次元のイラストが何で問題になり抗議の対象になっているのか理解できません。

「宇崎ちゃん騒動」の発端となったツイート