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恋愛幻想の強い時代だったら書けなかった。恋愛しない若者に感謝

藤田宜永特別寄稿『奈緒と私の楽園』を着想した背景

2017/03/28
『奈緒と私の楽園』(藤田宜永)

 連載中は女性編集者から猛反発、男性から圧倒的な支持を受けた『奈緒と私の楽園』(文藝春秋)。いったい何が女性たちの癇にさわり、男性には受けたのか。恋愛小説の名手であり、文壇のモテ男として君臨する、著者の藤田宜永さんによる本書誕生の経緯を寄稿していただいた。

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  或るテレビ番組に呼ばれた。若い人が恋愛をしなくなったことがテーマのひとつだった。 

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 恋なんかしなくても、面白いことはいっぱいある。その通りだ。何も無理をして恋愛なんかする必要はまったくない。

 恋に落ちる、という言葉があるように、恋はしようとしてするものではなくて、落ちてしまうものだろう。

 しかし、する気がないと、落ちることもないのが、恋の摩訶不思議なところだ。

 なぜ、若い人が恋をしたくなくなったのか。

 傷つきたくない、裏切ったり裏切られたりしたくない……。そう言ったところが、恋愛を避ける理由らしい。

 僕は恋を海水浴にたとえている。

 夏の海は気持ちがよくて素晴らしいが、日焼けしすぎると、後が大変。痛くて寝られない場合もある。こういう苦い経験をすると、二度と海水浴に行かなくなる。大体、このような形で、恋から遠ざかっていくのだろうと僕は思っている。

 恋に傷つく人間なんて昔から大勢いた。僕の若い頃だって、成就しなかった恋の方が圧倒的に多かった。にもかかわらず、失恋してもまた恋をしてきたのはなぜだろう。或る人に言わせると、僕が若かった頃は、恋愛に対する幻想が強かった時代だそうだ。確かにそうである。恋愛がいいものだという気持ちを持っていたから、失恋しても、また恋をした。そうやっているうちに、傷つくことにも強くなっていき、“二度と恋などするものか”と宣言しても、舌の根の乾かないうちに、もう誰かを好きになっているなんてことがよく起こったのである。

 もうひとつ、若者が恋に二の足を踏む理由は、筋道の通ることしか受け入れられない弱さにある気がする。

 恋ほど不条理なものはない。

 たとえばだが、A君はイケメンで頭が良く、スポーツ万能で、話は面白く、金もある。一方B君は、どの点においてもA君よりも劣っている。その両方がC子さんを好きなのだ。A君は自信をもってC子さんに言い寄った。が、あっけなく振られた。C子さんはA君を生理的に嫌いで、B君が好きだったのだ。B君が好きな理由は、C子さんが昔、飼っていた雑種の犬に、B君が何となく似ていて、可愛く思えるからだという……。

 普通にいったら、A君がB君に負けるわけがない。しかし、恋愛においては、計算通りには事が運ばず、努力が報われないことも多々ある。

 複雑な謎解きゲームでも、所詮、人間が作ったものだから答えはある。答えがあることが分かっていれば、安心して謎に挑戦できる。そして、頑張れば、或る程度の成果は得られる。

 しかし、恋愛は生身の人間のやることだから、確実な答えは用意されていないし、努力が実を結ぶ保障もない。

 だから、恋を避けるようになったのだろうし、自分の思いが通じないことに我慢できずストーカー行為に走る者も増えたように思える。

藤田 宜永さん

 今度の僕の作品『奈緒と私の楽園』のヒロイン、奈緒は二十九歳。恋愛やセックスが得意な女性ではない。或る意味、不思議ちゃんである。作者によって作り上げられた人物なのだから、僕にとってはちっとも不思議ちゃんではないように思われるかもしれないが、否、否、否。僕自身もよく分からない女の子なのだ。ちっとも神秘的ではないし、男を蠱惑するような女でもない。にもかかわらず、作者も主人公も、この子が掴み切れない。

 さて読者はどうだろうか。理解できる人とできない人の数がどうなのか作者は大いに興味を持っている。

 奈緒は本当に面白い女なのだろうか? 平凡な女を作者が勝手に面白いと思い込んでいるだけかもしれない。そうだとしたら、作者自身が奈緒に恋していることになる。

 主人公は五十歳の独身男で、彼は恋愛を避けてきた人間ではない。むしろ、経験豊富な男である。

 そんな男が、恋愛の苦手な女と関わったことで、彼自身が気づかなかった世界に入り込んでゆく。

 この小説は、僕が若かった頃のように恋愛幻想の強い時代だったら書けなかった作品である。恋愛しない若者が増えたおかげで、これまで書かれたことのないはずの変な男女関係を作品化できた。

 恋愛しない若者諸君、ありがとう!

奈緒と私の楽園

藤田 宜永(著)

文藝春秋
2017年3月24日 発売

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恋愛幻想の強い時代だったら書けなかった。恋愛しない若者に感謝

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