なんだか「アレ?」と戸惑い、ドキッとさせられた。
現在配信中&公開中のNetflixオリジナル作品『アイリッシュマン』を観ている最中から抱いた率直な感想だ。同作を手掛けたのはマーティン・スコセッシ。言わずとしれた巨匠だが、最近だと『アベンジャーズ』シリーズ(12~19)をはじめとするマーベル・シネマティック・ユニバースの作品群を「あれは映画ではなく、アミューズメントパーク」とディスった監督と説明したほうが早いかもしれない。このスコセッシ、“怒る、罵る、脅す、盗る、殴る、刺す、撃つ、殺す”が詰まった“暴力のアミューズメントパーク”と呼びたくなるマフィア/ギャング映画を得意とする。
『グッドフェローズ』(90)、『カジノ』(95)、『ギャング・オブ・ニューヨーク』(01)、『ディパーテッド』(06)は、まさにマフィアやギャングが右往左往して死屍累々となるスコセッシの代表作。『ミーン・ストリート』(73)や『タクシードライバー』(76)といった反社会的勢力の方々が主人公でない作品でも、容赦ないバイオレンスを炸裂させる。
『アイリッシュマン』は、殺し屋として1940年代から1970年代のアメリカ裏社会を生き抜いたフランク・シーランの姿を追う実録マフィアもの。というわけで“怒る、罵る、脅す、盗る、殴る、刺す、撃つ、殺す”のオンパレードにアガリまくるに違いないと期待したわけだが叶わなかった。もはや「どうした!? スコセッシ」状態だったのだ。そうなったことに絡んでくるのが“toxic masculinity=有害な男らしさ”という、聞き慣れないうえに男どもにはなにやら耳あたりの悪そうな言葉だ。