これまでの映画のトーンとは明らかに違っている
今回の作品についてもう少し触れてみると、製作費は170億円、上映時間は209分。キャストはスコセッシ映画の常連であるロバート・デ・ニーロ、ジョー・ペシ、ハーヴェイ・カイテル、マフィア映画の元祖といっていい『ゴッドファーザー』シリーズ(72~90)のアル・パチーノと超豪華。
主人公のフランク(ロバート・デ・ニーロ)は、マフィアから重宝された殺し屋だけあって恫喝も爆破も殺人もお手の物。決して派手ではない撮り方だが、凶行シーンもキチッと用意されているし、CIAがキューバのカストロ政権を転覆させようとしたピッグス湾事件、ケネディとニクソン両米大統領との癒着、全米トラック運転組合委員長ジミー・ホッファの失踪と、アメリカ現代史とマフィアの関与という“闇”まで垣間見せてくれるのだが、これまでのスコセッシのマフィア/ギャング映画のトーンとは明らかに違っている。
“有害な男らしさ”を体現する存在
『グッドフェローズ』などに出てくる連中はもちろん、マフィアじゃないが『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(13)の詐欺師まがいの株式ブローカーであるジョーダン・ベルフォートも好き勝手に暴れまくった末に追い込まれていくが、“俺の人生だ! 文句あっか!”とばかりにまったく悪びれない。そのピカレスクを極めた生き様とバイオレンスを含めたエグい描写の融合が観る者をアゲにアゲてきたわけだが、それがどこにも見当たらない。代わりに“漢(おとこ)”として生きる者たちの無様さ、哀れさ、滑稽さが際立っているのだ。そこで飛び込んでくるのが“toxic masculinity”。直訳すると“有害な男らしさ”で、本作の製作を務めた女性プロデューサーのジェーン・ローゼンタールが『アイリッシュマン』のテーマのひとつとして発した言葉。そして、同ワードを体現する存在として劇中に配置されているのがフランクの娘ペギー(アンナ・パキン)だ。
フランクは殺し屋であることを娘たちに隠し、家では良き父親、良き家庭人として振る舞う。しかし、幼かったペギーの目の前で彼女とトラブルを起こした食料品店の店主をボッコボコにする。フランクにとっては愛する娘のための父親らしくて男らしい行為だと信じて疑わないが、ペギーはそこに必ずや誰かを傷つけてしまう有害性を見出す。以降、フランクがせっせと働きに出る(殺しに向かう)と父親へ嫌悪の眼差しを向けるようになる。
一方のフランクも自分では気づいていないが、自分をマフィアの世界へと導いて金に困らぬ生活を送らせてくれる父親的存在のラッセル・ブファリーノ(ジョー・ペシ)に恩義を感じ、仁義を貫く。男らしい姿かもしれないが、フランクはアイルランド人。アイリッシュマンはイタリア人(シチリア人)の者たちでのみ形成されるマフィアという“ファミリー”の一員になることは絶対に許されないのだ。それでもブファリーノが放つ命令に黙って従うフランク、“有害な男らしさ”に気づかない父親を冷たく眺めるペギー。