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2019/12/24

父からの「スクラムマシーンにはなるな!」

――お父さんはアジア最強のプロップと呼ばれて、スクラムで何度も日本代表を苦しめた名選手でした。そのころからラグビーはお父さんから教えてもらっていたんですよね。

 はい。中学1年までは走る練習ばかり。スクラムがいくら強くてもスタミナがなければ、世界では通用しないから、とグラウンドや山道を走り回っていました。でも走れなかったので、父に「スクラムを組むだけのスクラムマシーンにはなるな!」と怒られて、毎日泣きながら走っていました。この時期は本当にキツかったですね。

 そして中学2年生くらいから高校生とスクラムを組むようになりました。父からは「低く組みなさい」といつも指導されていました。

 

――そんな厳しい練習が毎日続いたら、やめたくなってしまいそうです。

 正直に言えば、やめたいと思ったこともあります。でも父と母は、ぼくと兄のラグビーのために、ニュージーランドや日本についてきてくれた。こんなに一生懸命になってくれる両親は世界中どこにもいないなと感謝していました。だから、ここで踏ん張らなければ、とトレーニングを続けていました。

日本代表を意識するようになった高校時代

――そうして日本代表を目指すようになったのですね。

 そうなのですが、来日当初は、日本代表になれるとは考えてもいませんでした。そのころの目標は、日本で一生懸命ラグビーをして、トップリーグで活躍すること。

 日本代表を意識するようになったのは、高校時代です。日本文理大学附属高校の2年生のときにU17日本代表に選んでもらいました。アンダー世代の代表に、はじめて選ばれて、もっとがんばれば日本代表になれるかも、という気持ちになった。日本代表を目指して努力するようになったのは、そのときからですね。

 

――お父さんが活躍した韓国代表への憧れはなかったのですか?

 確かに父は目標とするプロップです。でも、韓国代表を意識したことはあまりないんです。とくにU17日本代表に選ばれてからは、絶対に日本代表になって活躍して、たくさんの人に応援される選手になろうと決めていました。父も「日本代表を目指しなさい」と背中を押してくれました。もしも韓国代表に誘われていたとしても「日本代表を目指します」と断っていたと思いますよ。