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日本代表のジャージをはじめて着たときの気持ち

――高校卒業後は、拓殖大学に進んでいますね。

 兄が進学していたのと、監督の遠藤(隆夫)さんが元プロップでスクラムにこだわりを持っていたからです。ぼくはチームが試合に勝ってもスクラムで負けたら、プロップとして役割を果たしたことにはならないと考えています。だから拓殖大学でスクラムの経験を積みたいと思ったんです。

 もう1つ。大学時代に日本代表に憧れた出来事があります。大学3年生のときにあった前回W杯の南アフリカからの勝利です。純粋に衝撃をうけました。あの南アフリカに勝つなんて、すごい、と日本代表にますます憧れました。

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 同時にハードルが上がったとも感じました。日本代表は南アフリカに勝つレベルのチームになった。自分も早くこのレベルの選手にならなければ、と。

 

――はじめて日本代表に選ばれたのは、2017年のトンガ戦でしたね。

 そこまでが厳しかったです。U17のあと、U18、U19、U20と年代別の代表に選ばれてきました。それがとてもうれしくって……。でもフル代表にはなかなか呼んでもらえなかった。サンウルブズ(日本代表強化のために、スーパーラグビーに参戦している日本チーム)に入っても、代表からは声がかからない。どうすれば、日本代表になれるのか、悩んでいました。

 日本代表に選ばれるきっかけは、サンウルブズ2年目のシーズンです。シーズン前、ぼくはふくらはぎを傷めて、4カ月も試合に出られなかった。そこで上半身のフィットネスを高めるトレーニングをくり返しました。ケガから復帰して、なんとか最終節のブルーズ戦にスタメンで出場できました。トレーニングの成果で、ケガをする前よりも身体が絞れて、ふだんよりもいいパフォーマンスができた。

 そして、試合を見ていたジェイミーさん(日本代表ヘッドコーチのジェイミー・ジョセフ)に、日本代表にはじめて呼んでもらえました。身体管理の重要性を再確認し、トレーニングに対する意識が変わった体験でした。ケガの経験をプラスにできたからこそ、日本代表になれたと感じています。

――憧れの日本代表になったときはどんな気持ちでしたか?

 安心したというか、ホッとしたというか……。日本代表のジャージをはじめて着たときの気持ちは、いまも覚えています。このジャージを着るために17歳から必死にがんばってきたんだな、たくさんの人のお世話になって、やっとここまでこれたんだな、と。

 

#2 ラグビーW杯で見た具智元選手の“意外な一面” アイルランド戦「ガッツポーズ」とスコットランド戦「悔し涙」の理由に続く

写真=末永裕樹/文藝春秋