酒井順子さんが歌舞伎をよく見るようになったのは、女形の濃厚な女らしさに心を奪われたからという。その酒井さんが名優・市村萬次郎さんと対談、歌舞伎における女以上の女らしさとは何かを語り尽くす。

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酒井  萬次郎さんは、歌舞伎の家にお生まれになったわけですが、最初から歌舞伎役者になるということは決まっていたのでしょうか。

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萬次郎  5歳の時が初舞台でしたが、それまでも楽屋に遊びに行っていましたので、家と同じくらい違和感のない場所でした。楽屋では、子供はどこに行っても相手をしてくれますし、舞台に出始めれば、子役の代わりはいないので、とても大事にしてくれるんです。家にいるよりも大切にされますから、自然と馴染んでいきました。

 でも、僕は、物心つく頃には理系に進もうと思っていたんです。というのも、うちは5人兄弟のうちの3人が男で、子供の頃からみんな踊りなどは始めており、父(十七代目市村羽左衛門)も「1人くらいは役者にならなくてもいいだろう」と、思っていたようでしたので。

酒井  思春期になると、舞台に出る機会も減るのですか。

萬次郎  そうですね。中学高校ぐらいというのは一番中途半端で、子役には大きすぎ、かと言って、声変わりも始まり、大人の役もできない。寸法が大人に近づいても、舞台ではまだまだ子供っぽく見えますし、どうしても舞台に出る機会が少なくなります。ですから、その間は、踊りや三味線、鼓などのお稽古をしていました。

酒井  その頃、歌舞伎の道に進もうか、理系の道に進もうかという揺らぎはなかったのでしょうか。

萬次郎  揺らぎはなかったです。理系の道に、と思っていました。ところが、高校1年の頃、兄が大病をして、奇跡的に助かったのですが、自分が歌舞伎をせざるを得ないかなとなりまして。

酒井  そうだったんですね。女形になるか否かは、ご自分で決めるのでしょうか。

萬次郎  最終的には自分です。僕は20歳から30歳頃までは立役が多かったのですが、その後女形が増えてきました。当時は今よりもっと細かったですし、見た目や声の質で、どちらかというと女形の方が向いているのではないかということでした。

酒井  女形をなさるにあたり、ご自分の中で違和感はなかったのでしょうか。

萬次郎  ありましたよ。歌舞伎座の2階で白粉を塗って、女形の着物に着替えて、階段を下りてくると、ちょうど窓があって、青空がみえる。外に、真っ青な空が見えた時に、「俺、何やってるんだろうなあ」と(笑)。

『女を観る歌舞伎』(酒井順子 著)

「情をひく」とは

酒井  萬次郎さんというと、声が特徴的で、声を聞いただけで登場されたとわかるのですが、女性向きの声というのは、持ち前のものなのでしょうか。

萬次郎  自然のものだとは思います。僕の場合、義太夫を稽古した時にも、女形に向いてますねと言われました。ただ、初期の頃ですが、女形は高い声を出さなくてはいけないと思い込んでいました。

酒井  女形だからといって、必ずしも高い声というわけではないのですね。声は、ある程度訓練で出るようになるのですか。

萬次郎  ええ。ちゃんと発声を教わったのは、もっと後になって、義太夫の稽古をしてからでした。声の出し方というのも確かにあるのですが、最近は、特に、息遣いが大事だなと思いますね。ちょうど20歳くらいの時、すでに引退されていた鏡太夫に稽古をしていただきまして、そこで、まず、「情をひきなさい」ということを教わりました。

「情」というのは、喜怒哀楽、その役の気持ちですよね。悲しい時には、悲しそうに話そうとするが、それは違う。悲しいことを、悲しそうに話そうと思うのは、「自分」があること。それよりも、悲しく思うことが大切。何でもいいから、自分が悲しいと思うことを、思い浮かべなさいと。

酒井  まず、気持ちから入っていくという……。

萬次郎  そこで、悲しいなあと思ったら、その息を吸い込みなさい。つまり、情をひきなさいと。お芝居というのは、普通に生活している人々の感情を、少しだけ強調することですから、まず、思うということが大切であると教えていただきました。

 実際にここでやってみますと、たとえば「なにがなにしてなんとやら」というセリフがあったとします。普段話している地声を二枚目と思って下さい。それを少し高くすると位のあるお公家さん。イントネーションを変えると女形に。そして、年配の女性やお局になると、声を少し低く、息をつけて伸ばしていく。

酒井  息遣い、呼吸ですね。

萬次郎  でも、そういうのがわかってくるのはずっと後のほうです(笑)。高い声を出さなきゃと思うと、喉だけに力が入って痛めてしまったりもしました。息遣いのような技術的なことは、義太夫などさまざまなお稽古をする中で、自分が会得したものです。

酒井  お稽古事の中から、みなさん自分で開発していくのですね。

萬次郎  踊りからは、姿かたちを作ることや、どうやったらきれいに見えるかを、義太夫では人物の表現、どういう声のつけ方をするかなどを学び、太鼓や鼓など鳴り物によって、間を覚える。日本の音楽は、音のないところを重要視しますから、何もない空間が思いになる。音のないところの表現を覚えるというのが大切なんです。

 いろいろなものを稽古することによって自分が必要なものをピックアップしていくというのが、昔からのやり方ですね。西洋のように、論理的に教わってくるということは少ない(笑)。

酒井  やはり、ある程度の人生経験が必要になってくるということですね。