(1)より続く

 女形として女性以上に女らしい仕草や動きはどのように生まれてくるのか。名優・市村萬次郎さんと酒井順子さんによる、女を観る歌舞伎対談の後編。

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『女を観る歌舞伎』(酒井順子 著)

歌舞伎を観るときのアドバイス

酒井  演じるのが楽しくなってきた瞬間というのはありましたか?

萬次郎  初めて演じるのが面白いなと思ったのは、29歳で勘平をやらせていただいた時でした。父から細かく教わりまして、その時に、息遣いも少しずつわかってきた。「仮名手本忠臣蔵」の勘平は、塩冶判官の家来で、駆け落ちして女房となったのが腰元のお軽。その勘平が、仇討ちの資金を用立てようとしていたところ、猪と間違えて男を撃ち殺す。その男が持っていた金を奪って、意気揚々とお軽のもとに帰ってくるのですが、そこでの話を聞くうちに殺した男がお軽の父親だったのではないかと思いこみ、運び込まれた舅の遺体の前で切腹してしまうわけです。そこまでの心情の変化というのが、演じていてとても面白かった。

 でも、1991年に始めた自主公演あたりからでしょうか。本格的に楽しいと思い始めたのは。

 初の自主公演で「鳴神」の雲の絶間姫をやったのですが、「こういう役は教わらないで、自分で考えてやったほうがいいのではないか」と、自分なりに好きにやらせていただいたんです。絶間姫は、鳴神上人の呪術を色仕掛けで破ろうと、送り込まれるわけですから、相手の気をひいて騙そうとする役。そういう感情表現をたくさん出せるものが、男でも女でも面白い役かなと思います。反対に、普通のお姫様というのは感情をそんなに出さないので、あまり惹かれませんね。お姫様でも、遊女に身を落とすような、アップダウンのある桜姫などは面白いかもしれませんが。

酒井  私が歌舞伎を観るとき、色気のある役柄のはずなのに、どうも感じ取ることができずに悩むことがあるのですが……。

萬次郎  それは観る方それぞれで、無理に感じ取ろうとする必要はないと思います。講演会の最後によく言うのは、歌舞伎を観ても、むずかしいとかわからないとか思わないでください。もし、そう思ったのだったら、それは、役者が下手だったのだと思っていただければと。お金を払った方が責任をとって、「歌舞伎を勉強しなくちゃ」と思うことはないのです。色っぽいと思ったら、「色気があったわよね」と、でも、そう思わない方も、もちろんいらっしゃる。それでいいんです。気楽に素直に観てほしいと思いますね。

酒井  あまり構えなくていいということですね。

萬次郎  難しいというのも、たとえば、当時の洒落だったり、通しであるものを面白くないから抜き出してやっていたりするので、話の筋がわかりにくくなったりするからです。僕も、話の筋がわからないものなどありますよ。

酒井  観客の質も変わってきているのでしょうか。昔は、ここで受けていたのにとか。

萬次郎  それは、昔の共通の話題を知っていたからだと思います。今だったら、少し前のテレビだったり、自分が生まれ育ったときに聞いている情報だったりというものがあるわけですよね。同じように、昔はお芝居や落語というものが共通の情報になっていたんでしょう。

 主君や親のために犠牲になるお話では、同情して涙したわけですが、現代の方が観たら、「なに?」という反応になるのも致し方ない。そういう世代的なこともあります。国によっても大きく反応が違うのですから。

「勧進帳」で弁慶が主人を打ち据えた非礼を詫びて泣くシーンがありますが、ロシア公演の後で、ロシア人の俳優が「なぜ、あそこで威張らないのか?  主人のために戦ったんだから、もっとえらそうにしていいのでは」と言っていました。中国での「忠臣蔵」公演では、判官切腹の時、扉を閉めて出入りを止めたんです。中国では、なぜお金を払ってまで、人が自分で死ぬのを見なくてはいけないのか、とみんな帰ってしまうから。うちの妻は、京劇女優なので、そのあたりの事情を教えてくれましたが、これほど国によって感覚が違うわけです。