2年余り前のこと。月刊「PHP」誌から小説連載のお話をいただきました。早速、編集長と相談し「京都祇園」の花街を舞台にすることだけが決まりました。私は学生時代から40年通い詰めて京都通を自負していましたが、こと「祇園」となると話は別です。古くからの「しきたり」で成り立つ街。余所者がペンを執るのはいかにも恐れ多い。何より「一見さんお断り」の壁が立ちはだかります。
そこで、縁を伝って紹介いただき、生まれて初めて遊んだのが祇園甲部のお茶屋「吉うた」さんでした。有名な歌舞踊曲「祇園小唄」ゆかりのお店として知られています。日本のみならず、世界中の著名人に愛されてきたお店で、アカデミー賞監督のフランシス・コッポラも訪れたことがあるといいます。
花街では、女将さんのことを「お母さん」と尊敬の念を込めて呼びます。お母さんの高安美三子さんにお願いしました。
「粋」という生き方を尊ぶ祇園という街で
「祇園を舞台にした小説を書くことになりました。何もわからなので、教えてください」
「よろしおすなぁ」
私は、他の取材先と同じように、次々と質問しました。
「舞妓さんになるには、どんな苦労があるのでしょう?」
「よく中学を卒業したばかりの女の子が修行に耐えられますね」
などと。ところが、「そうどすなぁ」と、にこやかに微笑まれるだけで、具体的な答が返ってきません。
これは後々わかることですが、祇園で最も恥ずべき行為をしていたことを知らなかったのです。祇園のことを知りたければ、通い詰めるうちに自ずと理解していくもの。「粋」という「生き方」を尊ぶのが祇園です。それを無粋にも、いきなり花街で働く人たちの「裏話」「本音」を聞き出そうとしてしまったわけです。
つい最近のこと、お母さんに言われました。「志賀内さん、最初に来はった時、もう質問ばかりしてはりましたなぁ。なんて積極的な人やと思うてました」と。赤面です。
それでも懲りずに祇園行脚も数十回。原稿料を遥かに超える花代がかかりました。たぶん呆れられたのでしょう。お母さんが芸舞妓さんに「この方は作家さんで祇園の小説書かはるんやて。いろいろ教えてあげてな」と口添えして下さるまでになりました。