急に真顔になったお母さん
ある日のことです。ことは外国人観光客の迷惑行為の話になりました。お座敷に向かう舞妓さんの写真を撮ろうとして取り囲んで動けなくしたり、袖を引っ張ったり、中には花簪を取ってしまう人もいて困っているというのです。そこで、私がこんな提案をしました。
「江戸城下のように町ごとに木戸と門番を設置して、観光客が入って来られないようにしてはどうでしょう」
すると、今までにこやかだったお母さんが、急に真顔になって、
「それは違(ちご)うてます」
とおっしゃるのです。ドキッとしました。それは、どんなに困っていてもモラルの問題であり、「締め出す」のが解決策にはならないというわけです。ここでハタと気づきました。
「お母さんを小説のモデルにしよう!!」
多くの夜の接客業では、お客様を褒めて持ち上げます。ときに大袈裟に。ところが、「吉うた」のお母さんは、やみくもに「おじょうず」を口にされないのです。それがなぜか、自然で居心地がよいのでした。その代わり、お互いが同じ目線で人生や文化の話を交わすことができました。志賀内がちょっと知ったかぶりで知識や考えを口にすると、間髪入れず「それは違うてます」とぴしゃり。ヒヤリとはするけれど、ついつい自分自身をよく見せよう、大きく見せようとしたことに反省します。
常に背筋をシャンと伸ばして「凛」とされている。時に「人の歩むべき道」を教えてもらっているような気持ちになりました。気が付くと「お母さん」の人柄に惹かれている自分に気づきました。そうだ! お母さんを小説のモデルにしよう!! こうして、「京都祇園もも吉庵のあまから帖」の主人公「もも吉」が誕生しました。
さらに祇園へ通いつめ、丸2年が経ちました。原稿を書き上げ、本の発売日も決まり校正の締め切りに追いまくられている最中。7月9日早朝のことです。ニュースで祇園の火災を知りました。「吉うた」さんが、貰い火で全焼したというのです。