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「これは、神様が燃やして下さったんや」

 9月の9日。四条通のスターバックスの前で、お母さんと待ち合わせをしました。出来上がった本を献上するためです。そこにダブダブのグレーのTシャツをまとったお母さんが現れました。お母さんは、言います。

「全部燃えてしまいました。先代、先々代の着物もすべて」

 着物に疎い私にも想像はつきます。最低でもマンション一戸分の価値はあるものでしょう。それよりも、額装した「祇園小唄」の「詩」や、名だたる歌舞伎役者さんとの記念写真など「思い出」の「もの」も失くなってしまったのです。

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※写真はイメージです ©iStock.com

「着る物があらしまへんから、舞妓さんがユニクロのTシャツを買(こ)うてくれました」

 さらにお母さんが、笑顔で語る話に驚かされました。

「火災の日は、うちの79歳の誕生日だったんどす。燃え盛る火を見ながらも思いました。これは、神様が燃やして下さったんやと。人生というものは、何度でもやり直せるとは言うけれど、人は今まで培った物をたくさん抱えているから、ゼロからのやり直しにはならない。そやから、神様が『全部燃やしてあげるさかい、ゼロから始めなさい』と、燃やしてくれているんだろうと思ったんどす」

 唖然としました。なんという気丈なことか。そしてこう続けます。

「うちは一度も後悔したことはあらしまへん。人間は、シュンとしていたらダメ。『やらなあかん』と思うたら元気が出るものどす。すべて失くなって良かった。神様が『あんたやりなはれ』言うてはる気がするんどす。家も着物も失(の)うなったけれど、『あんた自身は変わらんやろ』と思ってはるんと違うやろか」

 現実世界で火災に遭ったお母さんの、まるで小説のようなセリフに言葉もありません。まさしく「事実は小説より奇なり」。まるで主人公の「もも吉」がそこにいるようです。励まし、お見舞いに伺ったつもりが、反対に「人生」というものを教えられ、さらにパワーまで頂戴しました。

奇跡的に燃えずにいた靴ベラ

 不条理な出来事にも負けないお母さんの「生き様」に学びました。さらにお母さんに惚れてしまいました。

 鎮火した後、お母さんが消防署の許可を得て焼け跡に入ると、ポツンと一つ、玄関だった辺りに何かが立っているのを見つけたそうです。近づくと、それは…。50センチほどの長さの靴ベラでした。

焼け残った靴ベラ(筆者提供)

 木製ですが、どうしたことか奇跡的に燃えずにいたというのです。それも靴ベラ立てに直立で。お母さんは、思いました。「ああ、再びお客様がいらっしゃるのを待ってはるんや。気張らなあかん」と。

 お母さんは、私の心の師匠です。

京都祇園もも吉庵のあまから帖 (PHP文芸文庫)

志賀内 泰弘

PHP研究所

2019年9月6日 発売