夜のご商売向けのものといえば「GINZA1954」さんのカツサンド
――そういえばさきほどまい泉さんのお名前が出ましたが、まい泉さんというとカツサンドが有名ですよね。もちろん梅林さんも、カツサンドは名物のひとつです。いまでもカツサンドは、折り詰めの寿司じゃないですけど、そういう形での需要はあるものなんですか。
澁谷:そうですね。特に夜のご商売向けのものといえば「GINZA1954」さんのカツサンドも有名です。いやもうびっくりしますよ、1954さんのは。信じられないくらい柔らかいんですよ。いいお肉の、ほんとうに中心の柔らかいところだけ使っているらしいんです。わたしなんかにしてみれば、歯ごたえが物足りなくて、食べた気がしないと思えるほどです。夜のお店ではいまだにすごい人気ですね。
――なるほど。しかしカツサンドって、普通のとんかつとは求められるものが違ってきますよね。
澁谷:もちろんそれぞれのお店で、肉もパン粉も、カツ自体が違いますしね。うちのカツサンドは今はヒレを使っていますけれど、むかしはモモだったんですよ。
モモ肉は味はいいのですが、部位によってスジっぽいところもあったりして、そのスジをとるのが非常に大変なんです。うちの職人が1本スジを取るのに1時間くらいかかったりすると、狭い場所でやるには現実的に難しくなってきてしまって。お肉屋さんはやってくれないんです、手間がかかりすぎて。
それに、ちょっとスジが強いところに当たった方からクレームも入るようになってきました。ロースカツにしても柔らかいお肉のほうが美味しいっていう時代になってきているように感じます。時代とともに、お客様が求めていらっしゃるものは変わりますからね。
「ちんや」霜降り肉使わない宣言、その通りなんですよ
――わたし個人としても、最近はやはり、ブリっとした噛みごたえのあるお肉よりも、柔らかめで脂身の甘さを強調するようなお肉がとんかつに限らず増えてきたのかな、と思います。
澁谷:最近記事にもなりましたけど、浅草の「ちんや」さんというすき焼き屋さんが霜降り肉を使わない宣言をしたら、もうすごいSNSで拡散していましたよね。確かにその通りなんですよ。自分なんかだと、霜降り肉を一人前頼むと、最後の方には脂っこくて食べられなくなってしまいます。
以前、別の組合で豚の生産者さんを訪ねたときに、生産者の方が自信満々に、これだけ美味しい脂は、ってすごい脂の厚いものを紹介されていました。でもとんかつ屋としての自分の求めているのは、たとえばロースカツであっても、赤身と程よい脂の、バランスの良いものだと思っているところがあるんです。
――わたしもロースの脂の部分は、わりと薄めであっても十分だと感じられるものが好みです。
澁谷:しかし韓国のサムギョプサルなんかでですと、脂の強いお肉は向いてますよね。ロースで焼いても硬くなってしまうので、より脂の多いバラ肉のほうが美味しいと思います。そういう事情もあるんだと思いますが、韓国だとロースよりバラのほうが高いんですよ。3倍くらいするんですよ。韓国行ってびっくりしましたね。日本人の好みとぜんぜん違うんです。それぞれなんですよね、やっぱり。
――しかしたとえば、脂の強いお肉を使ったとんかつだと、お酒のアテ、ビールを飲みながらふたりくらいで一皿をつつくのにはいいのかな、と思ったりもしますけれど。
澁谷:わたしのとんかつの信念はね、白いご飯のおかずだと思っているんです。これはもう絶対に譲れません。とんかつが白いご飯のおかずでなければ、うちでは出す意味が無いと思っているくらいです。
お寿司屋さんに行って刺身だけ食べませんよね。シャリといっしょに刺身を食べるから寿司なんだ、というのと同じです。だから、ご飯のおかずとしてのとんかつ、っていうのを出してるお店は、わたしは買うんですよ。
だからこそご飯やキャベツなどにもこだわるべきで、ご飯であればうちは山形の「つや姫」を使っています。うちはお弁当もやりますから、冷めても美味しいのもすごい。出会って以来、ずっとつや姫です。本当に美味しいお米ですね。
高橋みなみ、渥美清が愛したカツ丼
――定食としての完成度の高さ、というのはわたしもとんかつを食べるときは気にすることが多いですね。そんな梅林さんですけれど、ちょうど今月(取材は2017年2月に行った)、創業90周年を迎えられました。さきほど、とんかつ100年の歴史、というお話がありましたけれど、そのうちの90年というのはすごいことですよね。「珍豚美人(ちんとんしゃん)」というしゃれた愛称もあって。
澁谷:この愛称は講談師の五代目一龍斎貞丈先生からいただいたものなんですよ。うちのお皿などにも、この時いただいたイラストをもとにしたマークがついています。当時の流行り言葉で、後ろ姿美人のことをバック・シャンと言っていたんですね。それにひっかけて、昭和のはじめにこの愛称を贈っていただきました。
――現在も、そういった形でご贔屓にされる著名人の方も多いんですよね。
澁谷:元AKB48の高橋みなみさんは、よくいらっしゃってくださいますね。うちのスペシャルカツ丼を食べたときに、ブログで「神の味」というタイトルで記事を書いてくださって。それからは開店前から並んでくださったこともありますし、ステージ衣装の格好のままタクシーでいらしてくださったこともあります。
――それはすごい。公演と公演の間だったんでしょうかね。
澁谷:そのときはうちの店長が、そんな格好で大丈夫なんですか、とお尋ねしても、いいのよ、なんて、非常にさっぱりした方で。随分いろんなところで、事あるごとに宣伝していただいています。彼女はまさにうちの宣伝大使ですね。
ほかには、渥美清さんもうちのカツ丼のファンでした。いつも午後3時ごろ、おひとりかマネージャーさんと一緒に。一番奥に渥美さんがお座りになる席があって、ふらっといらっしゃることがよくありました。
――100年もの間、そうしたさまざまな方に愛されてきたとんかつですが、とんかつ業界、これからどうなっていくんでしょうか。
澁谷:今後のとんかつ業界ですか。こぢんまりとしたこだわりのお店とチェーン店と、という形に大別されていくんだろうな、とは感じています。しかし志を持ってとんかつ屋を開く方も増えている、という話も聞いていますし、海外での知名度も高まりつつあると思います。まだまだ世の中においしいとんかつが残ってほしいな、と思いますね。
――本日はどうもありがとうございました。
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後日、撮影のためにあらためて梅林さんへ伺ったときに、店長の小森恒夫さんは「うちの店は、普通の人たちのちょっとした贅沢でありたい」とおっしゃっていた。ちょっと高いけれど決して手の届かないものではなく、その値段でほんとうに美味しいものを提供する。とんかつ受難の時代ではあっても、そういった店が今後も残ってゆくこと、広がってゆくことの希望はまだまだ失われていないのだ。
梅林
東京都中央区銀座7-8-1
03-3571-0350
11:30-20:45(L.O)
定休日=年中無休(1月1日を除く)
写真=かつとんたろう