チェーンのとんかつ屋ではほぼ必ずと言っていいほど見るのにもかかわらず、多くの老舗には存在しない物。そう、とんかつ網だ。いまさら説明も不要だろうが一応説明しておこう。とんかつ網とは、とんかつの下に敷く金属製の網で、形は半月形、足がついているために本体が皿から少し浮いている、あの網のことだ。

 伝統的なスタイルからすれば不要なものと見られがちだが、しかし別の側面から見れば合理的だという考え方もある。日本経済全体と共に外食産業も大きく伸びた1980年代後半から90年代にかけて大きく広まったと考えられる、とんかつの在り方に付け加わった新たな要素。そんなとんかつ網とは一体ナニモノなのだろうか。

網の値段、大は945円、小は735円

 さて、まず最初に取材をするなら、とんかつチェーン店「和幸」だ。公式ウェブサイトには「和幸のこだわり」として、《とんかつを盛り付けする際に使用する『とんかつ網』。こちらもとんかつ和幸が初めて行ったサービスです》とある。

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和幸ホームページより

 なぜ「とんかつ網」に至ったか、そして網へのこだわりについてもぜひ聞きたかったところなのだが、先方からは「取材はお受けできません」という返事。残念だが受けていただけないのなら仕方がない。

 気を取り直して次に向かうは、調理・厨房用品ならなんでも揃うかっぱ橋道具街だ。とんかつ網を扱っている「銅源サイトウ」「土屋商店」の2店に話をうかがった。

かっぱ橋道具街は調理器具の聖地

 飲食店からの網の注文がある場合、一回のオーダーで20~30個程度が出ることが多いとのこと。おそらくこれはチェーン店からの注文というよりは、個人のお店が網を使ってのとんかつの提供を始めたか、チェーンではないとんかつ屋の新規開店にあたっての注文なのだろう。

 さらには個人で購入する方も多いらしい。とんかつ網は、いまや家庭の中のとんかつにまで広がっているのだ。

 網の大きさに関しては、2店とも大と小との2サイズを扱っており、お値段は大は945円、小は735円。小の方はロースのとんかつを載せるには少し小さいからだろうか、大の方がよく売れるらしい。やはりとんかつはロースでなくては。

「網ではなく経木で食べたい」というお客さん

 さて、モノは見た。では実際にはなぜ、そしてどう使われているのか。東京は神田小川町の「ポンチ軒」を訪ねてみた。ポンチ軒は、ミシュランのグルメガイドによって、ビブグルマン(星こそつかないが、5000円以下でコストパフォーマンスが高いと認められた店)に何度も選ばれている、神田小川町の名店だ。

ミシュランが認定したビルグルマンのお店「ポンチ軒」

 ポンチ軒ができたのは2012年の5月。前身であった赤坂の「フリッツ」のころから一貫して、網と敷紙がわりの経木(きょうぎ)との両方を使っている。経木とは食品の包装などのために作られる、木を薄く削ったものだ。

 フリッツのころは特選などの少しお高めのとんかつや夜のメニューに網を使っていたのに対し、現在は基本的に定食などでは網で提供し、コースメニューなど和のテイストで高級感を演出したいときに経木を使うようになっている。ごくまれにお客さんから、網ではなく経木で食べたい、というリクエストが入ることもあるという。

ポンチ軒で使用されるとんかつ網は全部で4種類。もっともよく使われる半月型、フライ盛り合わせ用の丸型、「特ヒレ丸ごと一本揚げ」用の細長い形のもの、夜にお酒を飲みながら揚げ物をシェアして食べる場合に使うことの多い長方形のものがある

 しかしそもそも、とんかつに網を使うことのメリットとは何なのだろう。キャベツから出る水分やドレッシングなどからとんかつの衣を守る、あるいは皿から少し浮くことで立体感のある盛り付けが演出できる。しかし一方で、網を置くととんかつと皿の間に空間ができて、そこに溜まる温度と湿度の高い空気によって衣が蒸れてふやけてしまう、と網を嫌がる人もいるようだ。あるいは皿の上に網が載っていること自体、なにかとんかつらしくない、という感覚もわからないではない。

低温で揚げたとんかつだからこその「とんかつ網」

 さまざまに理由はあるだろうが、ポンチ軒店長の橋本正幸さんによれば、網のメリットは何よりもまず、余計な油を落とせることだという。

ポンチ軒店長の橋本正幸さん(右)

 ポンチ軒では、まず140℃の油(コーン油とゴマ油の混油)で肉を揚げ、そこから油の温度を160℃以上にすることで、油の粘性を低くして油切れよく仕上げている。2つの温度の違う鍋を用意する店も多いが、ポンチ軒では火力を調整することでひとつの鍋で温度調整を行っている。その上でさらに網を使うことで、衣に余計な油をまとわりつかせないことを徹底しているのだ。

 さらに、もとより高温で揚げたバリっとしたとんかつよりは、ポンチ軒のような比較的低温で揚げた柔らかい感じのとんかつの方が肉汁を多く出す。肉汁が衣を湿らせないためにも、網の使用は欠かせない。つまりとんかつ網は、「ポンチ軒のとんかつ」を最大限に活かすために必要だったのだ。

ロース豚かつ(上)。定食は1640円。ごちそうさまでした。

とんかつ界を象徴する問題としての「網」

 2010年代に入って、伝統的なスタイルを脱して、とんかつ屋そのものが新しくなっている。高田馬場の人気店「成蔵」や神楽坂「あげづき」などのニューウェーブ系とんかつ屋が出現し、あるいは「かつや」「松乃家」などの超低価格路線の店も増えている。そしてそれらの店では、網を使うことが珍しくない。網の使用は合理的であり、また盛りの演出にも適っている。しかし一方で、古き良きとんかつ屋の風情も簡単に捨て去ることはできない。とんかつに網を使うか使わないか、これはいま世代交代の只中にあるとんかつ界を象徴する問題なのかもしれない。

 

ポンチ軒

東京都千代田区神田小川町2-8扇ビル1階
 

営業時間(HP情報より)
月曜~火曜 11:15~15:00(L.O)
水曜~土曜 11:15~14:00(L.O)

夜の部(月曜~火曜は夜の部はありません)
水曜~土曜 17:30~21:00(L.O 20:30)
 

定休日
日曜日、第三月曜日

http://www.shunkoutei.com/ponchi/