「暴排」の流れを全否定した高山
そもそも、2015年8月に山口組が分裂したのは、この高山による強権的な組織運営が発端だった。高山や司の出身母体の二次団体、弘道会が、先代の5代目の出身母体である山健組の勢力を削ってきたことが、山健組を中心に神戸山口組を結成する事態を招いた。
当初、神戸山口組もあらゆるヤクザの掟を更新して見せた。親分への絶対服従という唯一最大のルールを破って親分が健在のなか反旗を翻し、16年5月に六代目側に神戸側の直系組織の幹部一人の命を奪われてもなお、「亀の子作戦」を決め込み、非殺人・非服従路線で、暴力団対策法などの法の目をかいくぐり続け、ヤクザ抗争史にない「冷戦」を演出した。
確かに時代は変わった。暴力団対策法に暴力団排除条例。暴力団組員同士の殺人でも無期懲役が宣告されるようになり、損害賠償請求訴訟では億単位の金が組長に請求される。特定抗争指定暴力団に指定されれば会合すら禁じられる。ヒットマンにしたら、生きて塀の外に出られるかも出所後に自分の組織があるかも不明。血で血を洗う抗争は割に合わない、というのが大勢の見方だった。
そんなヤクザの最新形を全否定したのが、高山だった。出所の半年前から神戸山口組の中核組織山健組のナンバー2が襲撃されたのを皮切りに、次々と六代目側による襲撃がエスカレート。マシンガンでの殺人に帰結した。
バカであること。それは、ヤクザの親分への絶対服従の裏にあるもう一つの暗黙の掟、「殺人も厭わない」ことを意味するのだろう。
政治は数、数は力、力は金、とは田中角栄元首相が残した政治の戦略だが、ヤクザでは少し違う。力、つまり暴力が数、人をひきつけ、人が増えることで上納金、つまり金につながる。それを徹底的に追求したのが高山だった。半グレがヤクザの軍門に降りつつあるのも、この力にひれ伏したからにほかならない。