「世界から集まる選手たちにとって居心地のいい、思い出深い選手村になるよう最善の努力を尽くす覚悟です」

 2019年12月19日、東京五輪・パラリンピックの選手村(中央区晴海)村長に元日本サッカー協会会長の川淵三郎さん(83)が就任すると発表された。「選手村の顔」として、各国選手団などと交流したり、情報交換を行うのが主な役割だという。

5900人を収容できた「1964年の選手村」

 川淵さんは前回、1964年の東京五輪のサッカー日本代表として出場した経験を持つ。発売中の「文藝春秋」1月号で、東京五輪マラソン8位の君原健二さんと女子バレー金メダルの谷田絹子さんとの鼎談に臨み、自身が「選手村」の“村民”だったころの秘話を明かしている。

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1964年東京オリンピック開会式 ©文藝春秋

「選手は代々木の米軍居住地域『ワシントンハイツ』の跡地にできた選手村に入りました。米軍将校が住んでいた一軒家をそのまま利用したから快適で、何より家の前に芝生が敷いてありました。当時は砂のグラウンドで練習するのが当たり前だったから、芝生の上でボールを蹴れるのが嬉しくて。ずっとリフティングしてたな(笑)。それからディスコもあった。日本人選手は羨ましそうに外国人選手が楽しく踊っているのを眺めているだけでしたけど。無料の床屋さんもありましたね」

 1964年の選手村は東西800m、南北1400m、敷地総面積は66万平方メートル。5900人を収容するほどの巨大な村だった。現在は、代々木公園として多くの市民の憩いの場となっているほか、宿舎の一部が保存・展示されている。

選手食堂の食事が「一番の楽しみ」だった

 開村と同時に食堂もオープンし、なんと1日約2万食を作った。日本中のホテルの一流シェフ300人余が集まり、最高の食材をふるまった。

1964年東京オリンピック開会式 ©文藝春秋

「選手村一番の楽しみは何と言っても選手食堂の食事でした。あれは本当に美味しかった。ビフテキやエビチリなんてあの時まで食べたことなかった。検見川でサッカーの日本代表合宿をしていた時に出た最高の食事は豚肉のソテーで、それがご馳走だったんだから。晩御飯の時間が決まっていて、シェフたちも絶対に冷めたステーキは出さなかったね」