全世界で“神業”と賞賛され、30年以上のキャリアを誇る航空写真家・徳永克彦氏。美しく迫力ある戦闘機の写真は、どのように撮影されるのか。“空撮職人”としての徳永氏の仕事を、ノンフィクションライター武田頼政氏が描く。今年3月1日に発売された戦闘機の写真集『蒼空の視覚 Super Blue3』から、選りすぐりの作品も特別公開。
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年間300日は撮影や交渉で海外へ
徳永克彦は、戦闘機空撮カメラマンとして世界屈指の存在である。これまで欧米、ロシア、中東、アジアに至るまで、34ヵ国の空海軍を訪れ、60機種以上の戦闘機を撮影してきた。学生時代から頭角を現し、以来搭乗記録は30年間で1,900時間を超える。年間300日以上は撮影やその事前交渉で世界各地を飛び回る多忙な日々を送っている。
数十フィートの超低空から何万フィートもの高空を、時に音速を超えるスピードで駆けぬける戦闘機。後席に乗って撮影するのは1機数十億円から100億円もの機体だ。そしてその一度のフライトには数百万円から1,000万円の血税が投じられる。
飛行中、「もう10cm左へ」と指示することも
無駄な機動など許されず、一瞬の錯誤が空中衝突を引き起こす。徳永はそれぞれの機体の飛行特性を知り尽くし、命と金のかかったフォトミッションを安全に“設計”する。そのための事前ブリーフィングは詳細を極める。相手の希望を叶えるべく、被写体となる航空機の飛行特性とそのミッションを徹底的に研究し、その上で実現可能かつセーフティな飛行計画を練る。それは1フライトで10~20パターンほど。速度、高度、太陽の位置から割り出すポジション取り、果ては旋回のG(重力加速度)数値すら指定する。
いかなる悪条件であってもベストを尽くすが、パイロットにも相応の操縦技量を求める。飛行中、「もう10cm左へ」と言われて面食らう操縦士など、徳永のフォトミッションでは珍しくもない。
実戦経験のある戦闘機乗りは一様に保守的だが、“空撮職人”の徳永には、撮影のための“演出飛行”を彼らに納得させる長年の知識と経験がある。
戦闘機カメラマンは世界で2、3名
徳永が米空軍のジェット練習機に搭乗して初めて空撮を行ったのは21歳の時。当時は毎月のように新型戦闘機が発表されていたころで、航空カメラマンの仕事は多かった。ところがベトナム戦争から数次に及ぶ中東戦争などを経て、戦闘機は急激に進化し、予算的にも一国が独力で開発し得る規模をはるかに超えており、いまや新鋭戦闘機の開発は十数年に一度の頻度となった。予算規模が膨らむにつれて広報用の撮影ミッションは厳格さを増している。当然ながら、戦闘機の空撮を主たる表現手段としているプロカメラマンは淘汰され、いまや徳永を含めて世界で2、3名に限られる。
衝撃的なシーンにも立ち会った
ソ連の崩壊とともに長き東西冷戦の時代は終わりを告げ、禁忌の向こう側にいた東側の戦闘機たちはことごとく姿を現し、徳永の活動範囲はロシアから中東、アフリカ、あるいはインドや中南米へと拡がっていった。
米空軍F-22ステルス戦闘機との空戦訓練では、徳永が乗る通常機編隊が知らぬ間に「全機撃墜」されるという衝撃的なシーンにも立ち会っている。そうした体験が現役パイロットたちへの迫力となる。
戦闘機の機動はときに10Gにも達する過酷さだ。徳永はそれにひたすら耐えながら、狙いすました時を待つ。理詰めのミッションであればこそ、思わぬ“奇跡の一瞬”が訪れる。
彼が手練れの戦闘機パイロットたちの絶大な信頼を勝ちえている理由は、そこにあるのだろう。『蒼空の視覚 Super Blue3』(廣済堂出版)。好評発売中。13,500円(税込)
写真=徳永克彦