文春オンライン

2019/12/27

 これまでのネタでは、山内が非常識ながらも理屈が通っている主張を展開していたので、ツッコミの存在感が弱かった。観客がボケにもツッコミにも共感しづらいネタだったのだ。

 その点、今年のネタでは、山内の主張が明らかに理屈に合わないものだったので、それに対する違和感と恐怖心を濱家と観客が共有することができた。おかしいのは山内だと誰もが分かっている。それなのに、山内は力強く空虚な主張を続けている。観客は心の中で山内にツッコミをいれ、翻弄される濱家にエールを送る。2人と観客の間で関係が結ばれ、漫才の理想の三角形が作れるようになっていた。

「観客に挙手をさせる」というタブーに挑んだ

 今年のかまいたちは例年になく高く評価された。10組中の2番手という不利な出番ながらも、すべての審査員から高得点を付けられて堂々のファイナルステージ進出を果たした。

 ファイナルステージで2本目に彼らが演じたのは、山内が『となりのトトロ』を見たことがないと自慢するネタだ。もう見てしまった人は“見たことがない状態”にはなれないので、これほどすごいことはない、と山内は豪語する。これはどちらかと言うと従来型のかまいたちの「理屈漫才」だ。だが、理屈一辺倒にならず、細部に本筋と関係のないボケを挟んだりすることで、1つのテーマで最後まで引っ張っても勢いが落ちなかった。

©M-1グランプリ事務局

 そして、最後には「観客に挙手をさせる」という大仕掛けも用意していた。このように観客に直接話しかけて行為を促すのは、作品性が問われる『M-1』のようなコンテストでは一種のタブーとされている。だが、かまいたちはそれを承知であえてこの手法を導入したに違いない。実際、ここで手を挙げさせることでこの漫才はきれいに完結する。これは従来型の漫才に「新しさ」を加える画期的な発明だった。

 勢いがあり、オリジナリティがあり、キャラが立っていて、技術力があって、新しさもある。かまいたちという芸人の能力は、まるでコーンフレークのパッケージに書かれた栄養成分表示のごとく、大きな五角形を描いていた。

なぜ、それでも優勝できなかったのか?

 だが、それでも彼らは優勝できなかった。かまいたちの前に立ちはだかったのが、決勝初出場のミルクボーイだった。ミルクボーイは1本目の漫才で衝撃を与え、2本目でもその形を見せた。テレビで見ていた私の印象では、2本目の漫才ではミルクボーイとかまいたちはほぼ互角ではないかと思っていたが、審査結果としてはミルクボーイが7票中6票を獲得する圧勝だった。現場レベルではそれだけ絶対的な笑いの量に差があったということだろう。

 決勝でネタを2本見せる必要がある『M-1』は、助走と跳躍から成る走り幅跳びのようなものだ。1本目のネタで助走をつけて、2本目のネタでの飛距離を競う。かまいたちは最高の才能、最高の努力、最高の集中力で、助走とジャンプを鮮やかにきめた。オリンピックでいえば、確実に金メダルが取れるレベルの記録が出ていた。

優勝したミルクボーイの後ろで、悔しさを噛みしめるかまいたち ©M-1グランプリ事務局

 だが、ミルクボーイは、2本目のネタで跳び上がり、そのまま着地することなく大空へ舞い上がっていった。そのぐらい彼らのネタは、この日の観客に爆発的にウケていた。ミルクボーイは「助走」ではなく「滑走」をしていたのだ。

 万全の準備をして、完璧なパフォーマンスをしても勝てるとは限らない。それが『M-1』というお笑い界最高峰の勝負の残酷さだ。かまいたちは二冠の夢を果たせないまま『M-1』を卒業することになった。だが、芸人としてのその恐るべき能力の高さは、彼らのネタを見た多くの人に確実に伝わっただろう。

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