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美空ひばりの涙と和田アキ子の心中

 思えば、北島三郎も昨年、特別企画としてではあるが、紅白に5年ぶりにカムバックし、代表曲「まつり」を歌い上げた。一度は退いても、やはり紅白のステージには歌手にとって抗いがたい魅力があるのだろう。戦後歌謡界の女王・美空ひばりもその例に漏れない。ひばりは1973年、弟が刑事事件で逮捕され、彼女自身にも非難が集まった。NHKはこうした世論を憂慮し、同年の紅白でひばりを落選させる。以来、彼女は自分から紅白を辞退し続けたが、1979年に特別ゲストとして復帰し、「ひばりのマドロスさん」「リンゴ追分」「人生一路」の3曲をメドレーで歌った。このとき、ひばりに直接会って出演をオファーしたNHKのチーフプロデューサー(当時)の矢島敦美によれば、依頼を受けるや彼女の目から涙があふれ出たという。矢島は後年、《あのひばりの涙は、紅白にまた出られるといううれし涙だと思う。ひばりほどの歌手でも紅白は特別な舞台だったのです》と振り返っている(※12)。

1972年まで通算17回出場の美空ひばり。1979年に特別ゲストとして出演 ©文藝春秋

 美空ひばりですらそうなのだから、和田アキ子をはじめ、紅白卒業も口にしないうちに選から漏れた常連歌手の心中は察するにあまりある。和田に対しては、近年、新曲のヒットがないなかで毎年出場を続けているとの理由から、一部でバッシングが激化していた(※13)。しかし、島倉千代子が著書で証言しているように、古いヒット曲で出場すると歌手仲間から嫌味を言われたという昔ならともかく(※10)、いまではスタンダードナンバーのほうがむしろ視聴者には歓迎される傾向すらある。事実、石川さゆりは2007年以来、代表曲である「津軽海峡・冬景色」と「天城越え」を交互に歌い続けている。和田アキ子も「あの鐘を鳴らすのはあなた」や「古い日記」といったキラーチューンがあるのだから、出場を続けてもおかしくはないはずだが、選考にあたって「世論の支持」を重視するNHKとしてはやはり踏み切れないところがあるのだろうか。

40回目の出場がかかった2016年に落選した和田アキ子 ©getty

 ちなみに美空ひばりは、1978年にNHKが出場歌手を選ぶ参考資料として全国3600人の視聴者を対象に世論調査を始めて以降、亡くなる前年の1988年まで常に上位につけていたという(※14)。だが、1979年に出場したあと、彼女が再び紅白のステージに立つことはついになかった。今年、AIによってよみがえり、新曲を引っ提げての“出場”は、ひばりにとってじつに40年ぶり19回目の紅白ということになる。

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AI美空ひばりの『あれから』

※1 『朝日新聞』2017年5月29日付朝刊
※2 『毎日新聞』2013年12月6日付朝刊
※3 都はるみ『メッセージ』(樹立社、2006年)。発言の初出は『日刊スポーツ』1998年10月23日付
※4 『毎日新聞』1998年11月24日付夕刊
※5 合田道人『紅白歌合戦 ウラ話』(全音楽譜出版社、2019年)
※6 『婦人公論』2000年12月22日・2001年1月7日合併号
※7 『朝日新聞』1987年11月25日付夕刊
※8 『朝日新聞』1987年12月6日付朝刊
※9 『朝日新聞』2018年1月10日付朝刊
※10 島倉千代子『歌ごよみ』(読売新聞社、1994年)
※11 『週刊文春』2004年1月1・8日合併号
※12 『朝日新聞』1999年12月6日付夕刊
※13 『週刊朝日』2016年12月9日号
※14 『朝日新聞』1989年7月3日付夕刊