敵から身を守るためなのか、世間に認めてもらうためなのか。今日も女は、心身ともにさまざまな「甲冑(かっちゅう)」を着たり脱いだり大忙し――。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』で大ブレイクしたジェーン・スーの最新エッセイが連載で登場! 収録作品を発売に先行してお披露目します。あなたが知らない間に着ているのは、どんな甲冑?

女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。

ジェーン・スー(著)

文藝春秋
2016年5月28日 発売

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 1990年代前半。その頃に限って言えば、女子大に通っていた女はたいていJJかCanCamを読んでいました。ViViやRayも当時からあったけど、それは2冊目3冊目の選択肢というのが私の記憶。

 当時のCanCam専属モデルは、花にたとえるなら黄色のポピーやピンクのデイジー。わかりやすく親しみやすい華やかさが魅力でした。そして私はそれに引け目を感じていました。だからというわけではないけれど、私の愛読書はJJでした。

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 あの頃のJJは梅宮アンナと梨花の二大巨頭が幅を利かせていました。大輪のダリアのようだったこの二人は確かに魅力的でしたが、私はブレンダや熊沢千絵や山田明子(はるこ)のお嬢さん然としたてらいのない佇まいが好きでした。自己顕示欲が乏しいというかなんというか、花にたとえるなら白地に紫のトルコ桔梗、薄いピンクのバラ、オレンジ色のクロッカス。綺麗は綺麗なんだけど、派手さとキャッチーさに欠けるといったところ。だが、そこが良かった。

 なかでも、山田明子のこざっぱりとした佇まいが魅力的でした。パッと見はブレンダや熊沢千絵の方が深窓の令嬢っぽい。しかし、太い眉となにものをも恐れぬ媚(こび)のない視線は、山田明子がいちばんでした。まるでリボンの騎士のようでした。愛されて育ってきたことに疑いのない自信が、全身から発せられているように見えました。

 実際、彼女は良家のお嬢さん。これから一生、なに不自由なく生きていくんだろう。彼女の幸せほど、揺るぎないものはない。そう思わせる女性でした。

 少し前、「読者モデル」なんていう手に届きそうな存在が人気を博しましたが、私は圧倒的に手が届かないもの、後天的にはどんなに頑張っても手に入らないものに打ちのめされるのが好きです。「育ち」はその最右翼と言えるでしょう。自分では選べないからこそ、本人は無自覚だからこそ、圧倒的なのです。

 山田明子が持っていたもの、それは他のモデルが追随できない育ちの良さでした。この女は子どもの頃からドイツ車のドアの重さを知っているに違いない。そう思いました。

 社会人になり、私はJJのことをすっかり忘れてしまいました。CLASSYやVERYにはうまく移行できず、私は「光文社」と言われたらシャーッと猫が威嚇(いかく)の際に出す声みたいなものが喉から漏れる大人になり、やがて山田明子のことはすっかり忘れてしまいました。

 2000年代初頭。山田明子が真木明子になったというニュースが耳に入りました。真木蔵人と結婚したというのです。驚きました。

 真木蔵人は1970年代生まれが高校生だった頃のあこがれの存在です。当時はチーマー全盛期。ちょっと危なっかしい、けれど甘えん坊のような、アメリカからやってきたカッコイイ不良みたいな存在が真木蔵人でした。実際にはアメリカからやってきた不良なんて私は誰ひとり知らないんですけど、まぁ女子高生が持った精一杯のイメージですよ。

 高校時代、一度か二度だけ、親に嘘を吐いて渋谷でオール(一晩中遊ぶ)したことがあります。朝4時か5時のセンター街で、マウンテンバイクにまたがり颯爽と走る真木蔵人を見かけました。宮沢りえとドラマに出たあとぐらいでしょう。あれには見とれました。マウンバの後ろにはきれいな女の子が、真木蔵人の肩に手を置いて立ち乗りしていたっけ。あんなに洒落た二人乗りは以来見たことがありません。東京の高校生にとっては「昨日、渋谷で真木蔵人見たよ」が飛び切りの自慢になる時代でしたし、私は大興奮でした。

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