国民に自己決定権が行き渡った結果
日本の場合、中央集権で永田町と霞が関で1億2,000万人を同じ法律、同じ制度、同じ税制で束ねてきたから非効率であっただけで、戦後の体制が持たなくなったら各地域で特色にあった政策を実現できる環境ができれば、別にいまからでも何も問題なく社会を運営していくことは可能であろうと思います。
何より、高齢化のピークが過ぎる2040年以降は、病院ではベッド数が余り、医師も過剰になって、高齢化問題による負担は嘘のように軽くなっていきます。20年後だけど。未来に希望が持てないのは、高齢者をお世話しても劇的に回復するわけでもないという介護や医療の仕事に、才能のある日本の若い人たちがたくさん突っ込まれ、さして国際競争力も社会的生産性もない仕事に100万人単位で従事しているからです。日本でトップオブトップの学力を持つ人が医師を目指すのは、国家資格で手堅いスキルを身に着けられ、相応に高い所得が保証されるので親がそう仕向けるからであって、本当に毎年1万人も高コストな医師を養成し続けていいのか、という議論はもっとするべきだと思うんですよ。
だって、2019年生まれが90万人切ったんでしょ。このまま年間1万人医師を養成するぞとなると、90人に1人が医者になってしまう時代になってしまいます。医療に従事する人は献身的に働いていますが、それは高齢者が人口比で増え続けてきたからで、団塊の世代が鬼籍に入り、高齢化の波が過ぎてしまえば一気に暇になってしまう可能性すらあります。
単に「お前ら子どもをもっと儲けろや」という直線的な話ではなく、私たちの家族観、社会観と、経済状況も含めた社会保障全体を覆う問題なのであります。これは政府が無策だったというよりは、民主主義的な世の中で国民に自己決定権が行き渡った結果、変なのと結婚したくないと思う人たちが盛大に婚期を逃して独身のまま来ちゃったというのが現実です。
これから改めていく必要がある社会制度
何より、私たち人類は生物なのであって、社会保障だ国力衰退だと言う以前に「子孫を残す」ことが神から生命を与えられた一丁目一番地の使命であるとも言えます。本来は、何のために生き抜くのかと言われれば、子孫を残し、子を育み、健康で幸せに暮らしていくことにあります。しかしながら、それができない人たちもまた、幸福を追求する権利がある以上、政府が結婚を強い、子どもを無理矢理作らせることはできません。
「生きる目的とは何か」という哲学の不在が、結果としていまの日本の社会問題を生み出し、余計な論争をし、子どもは生まれず社会は衰退しているのかもしれません。私たちの子どもの世代に、いまの日本社会をどうより良く引き継ぐのか。また、子どもが残念ながらいない人にも、子どもや親の世代を頑張って支えている勤労世代にも、納得のいく社会制度に改めてゆく必要があるんじゃないかと毎回、この手の問題を考えるたびに思います。
何より、この人口減少が問題になる令和元年、第4子となる長女が生まれて半年ほど経って、私も46歳。もう2人3人欲しくて家内に頑張ってもらえるかどうか……という状況でして、ああ、長生きしなくては。
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