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昔ながらの日本の大家族制度があれば……

 そして、結婚サービスのデータなどを見る限りでは、もう手遅れな男女は少なくないのが現状です。性格が駄目、所得が駄目、健康面で駄目、年齢でもう全然駄目という人たちは、結婚できる見込みはほとんどなく、もう最後まで一人で生きていかなければならない状態で、人生も折り返し地点になって気づいて婚活に慌てることになります。本来であれば、もっと若くから学校で「結婚できる程度には身だしなみをきちんと清潔にして、家庭を養えるぐらいの経済力を持てるようスキルを磨きましょう」と教育しなければいけないんじゃないかと思うぐらいに。

 また、戦前から戦後まもなくまで、そのような結婚を前提とした出生と子育て、教育という環境を社会的に成り立たせていたのは、昔ながらの日本の大家族制度でした。いまは核家族が世帯の中心になり、しかも夫婦で働きに出ないと生活していけない環境になってしまったので、子育ての環境を今度は家庭ではなく税金で作った施設で整えなければならなくなりました。

 祖父・祖母の支援が子育てで必要な状況のはずなのに、地域でも顔見知りの少ない若い夫婦が、時短勤務で同僚の冷たい目線に包まれながら幼い我が子を施設に送り迎えするような環境が果たして良いのかどうかは、ちゃんと議論したほうがいいと思うんですよ。ちっちゃなリュック背負って満員電車で親に手を引かれながら乗っている幼稚園児を見ていると、私も「どうにかしてあげられないか」と感じます。

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 もちろん、もともと人類というのは共同で子育てしていたという話もあるわけなんですが、顔見知りですらない地元の人たちに我が子を預けて働きに出ることが、家庭を守ることに繋がるのかと悩む夫婦に選択肢を用意することは大事なんじゃないかと思います。なぜか保育園無償化の話が出て、本来ならば希望者は全員保育園に入れることができ、保育園に我が子を預けることを希望しない人にも同様の支援が得られるような選択を与えることが大事なのに、いまや「子どもを施設に預けて働きに出ないと損」という謎のモチベーションが起きていることは凄く気になります。

 ましてや、私などは4人子どもがいますが、上が小学生、下が赤ちゃんとなると、じゃあ全員預けて働きに出てよいのかという問題に直面しますし、保育園・幼稚園までは全入だなんだといっても、小学生になってしまうと学童保育で夕方までどこかの施設で過ごす子どもが増えてきます。もしも日本が本気で3人目、4人目も目指して子どもを産んでほしいと願うなら、施設に預けて働きに出る親と同様に、在宅で子どもの面倒を見ている親でありたいという権利もまた、守られなければなりません。こう書くと、専業主婦擁護だと思われることもあるわけですが、でも働くより複数の子どもの面倒を見るほうがはるかに重労働な時期もあるのですよ。

 それらは、社会で子どもを適切に育てるというよりは、子育て支援の名目で子どもを儲けることのできなかった独身世帯から子育て世帯に理由なく所得を移転する類の「独身税」とでも言うべき状況になっているんじゃないかと思うんですよね。独身は別に犯罪でもないのですが、社会的にさしたる保護もされず、おひとり様扱いされるというのは社会からも家庭からも切り離された存在になってしまうという意味で悲しいわけですよ。しかも、歳がいってから気づいてどうにかしようにも、どうにもならないという。

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これは役目を終えた日本人が長い休みを取るプロセス

 最後に、毎年50万人日本人が減るので危機的だ、と言われることもまた多いわけなんですが、実際に亡くなるのは冒頭に述べたように基本的に高齢者ばかりです。生産人口から外れ、余生を送った高齢者が神のもとに召される話であって、生産人口が減るわけではありません。社会はどんどん老いていき、日本は衰退が止まらないのは事実としても、これからの人口減少は役目を終えた日本人が長い休みを取るプロセスで必ず起きることです。

 そして、2040年には高齢化の波はピークを迎えます。社会的に辛いのはここまでで、あとはゆっくり日本人が減りながらなだらかに6,000万人を目指していきます。日本が衰退する、怖ろしいという理由は、半分になる人口ではいまの日本がやってきた「経済大国として、国防以外のあらゆる産業、すべての社会制度を維持することができなくなる」というだけです。フィンランドがいい、スウェーデンが素晴らしいと言っても、フィンランドには500万人、スウェーデンには1,000万人しかいないんですよ。