きょう5月5日は、1882(明治15)年に金田一京助が、1953(昭和28)年に金田一秀穂が生まれた日である。いずれも言語学者で、秀穂は京助の孫(長男・春彦の次男)にあたる。

 秀穂は少年時代、晩年の京助と一緒に暮らしていた。祖父の留守中にその書斎で本を読んだり、またコタツに一緒に入って話をよく聞いたりしたという(その書斎は現在、京助の郷里・岩手県盛岡市の先人記念館に移設復元されている)。

 アイヌ語研究者の先駆者でもあった京助は、未整理のアイヌ語のノートを山積みにしたまま亡くなる。1971年、京助が89歳、秀穂が18歳のときだった。秀穂は「そのノートの山を見ながら、一つの言語のいくばくかが、確実に消えていくのだと思った」と、のちに述懐している(金田一秀穂『金田一家、日本語百年のひみつ』朝日新書)。

金田一京助(左)、金田一秀穂(右) ©井上良(左)、郡山総一郎(右)/文藝春秋