「ゴールデンウイーク後の社会復帰がつらい」「このままフェイドアウトしたい」、そんなけだるさに襲われる“5月病”の正体とは何か。どうすればやり過ごせるのか。早稲田大学文学学術院で学生を教えながらライターとして活躍するトミヤマユキコさんと、精神科医として総合病院に勤務しながらミュージシャンとして活躍する星野概念さん。それぞれの立場から5月病の処方箋を聞く。
そもそも「5月病」って何ですか?
トミヤマ 5月は大学教員にとっても神経をすり減らす時期。連休をはさむと、大学に来なくなっちゃう学生が必ずいるからです。精神科医も、5月はやはり患者さんが増えるものなんですか?
星野 「5月病」はわかりやすい名称であって、正式な診断名ではないんです。なので、5月に限らず誰でも「5月病」的なものになります。そもそも5月病はどういうものだと思います?
トミヤマ 新しい季節、生活を迎えてがんばりすぎる「4月病」の反動で起こるもの、でしょうか。
星野 そうそう、まさに。日本は新年度が4月なので、環境の変化がもっとも大きい。変化そのものが、私たちにはストレスになります。昇進や引っ越し、結婚などのポジティブな変化だったとしても、今までと違う環境に自分を適応させるのは負担になります。変化を周りに報告するだけでも疲れてしまいますよね。その疲れの蓄積が5月にやってきて「5月病」になる。6月、7月までがんばり続けて、ついにエネルギー切れを起こす人もいます。
トミヤマ なるほど。「5月病」的なもの、に診断名はあるんですか。
星野 もっとも多く出される診断名は「適応障害」です。これは、「適応することがつらい」ということですので、時期に限らず「結婚したら、姑と全然合わなくてしんどいです」というケースにも当てはまります。ただ、これまで診断してきたなかで、大学生の患者さんは圧倒的に少ないですね。
トミヤマ そうなんですか! 大学1年生はとくに、5月に学校に来なくなると、「5月病」でしんどくなっているのか、うまくサボる知恵を身につけただけなのか、判断が難しいんですよ。大学は中学・高校とは違い「クラス」という単位で動くことが減るので、コミュニケーションもとりにくくなります。私が勤める早稲田大学では、クラスがあるのは1年生の時だけ。2年生以降の5月病対策は接する教員次第なので、どこまで介入すべきかは悩みどころです。
「逃げる」は恥ではありません
星野 精神科医のもとには、患者さんが“来てくれる”ので診断のしようがありますが、大学空間での判断は確かに難しいでしょうね。5月病が疑われる学生をつかまえて「お前、どうなんだ!」って金八先生的なアプローチもできないでしょうし。
トミヤマ 言われてみれば大学で金八先生的な教員に会ったことないですね(笑)。大学は、空間的にも時間的にも自由度が高くて逃げ場がたくさんあります。もしかしたらそれが、精神科にかけ込む大学生が少ない理由かもしれませんね。
星野 それはあると思います。私のところに来るのは、中高生と社会人が多く、学校や会社というひとつの場所に縛られやすい。嫌な友達や同僚、上司から「逃れられない」ことにしんどさを抱えている人がたくさんいます。大学は極論を言えば、単位さえとっていればいいですから、「絶対に出なくてはならない」授業ばかりでもない。……まあ、堂々と言うことでもないですけど(笑)。
トミヤマ 会いたくない友達がいれば、会わずに済ませられる。授業以外の時間はずっと図書館にいても食堂にいてもいい。肝心なのは、学生たちがその物理的な空間の広さを、いい“逃げ場がある”と気づいてくれるかどうか、ですね。私は教員ですけど、逃げたい時は逃げていいと思っていて、「人生には、ときに、授業より大事なことがある」と断言しています。
星野 先生がそう言ってくれるって、学生にとってはすごく心地いいと思いますよ。僕は医学生のころ、同じクラスに、どうしても仲良くなれない海が好きな人たちがいたんです。彼らを好きになれたら自分がラクになる、と思って、僕もその集団に入って好きになる努力をしてみました。結局、海に行っても海岸で寺山修司を読んでいて、何の解決策にもなりませんでしたけど(笑)。じたばたした後に、クラスに固執せず居場所を複数もっておけばいいんだ、と思ったらずいぶん心が軽くなりました。
トミヤマ 努力の仕方がすごいですね(笑)。でも本当に、居場所の複数化はとても大事。大学時代は、ふわふわと幽霊のように漂いながら、生産性のない時間を過ごすことが許される貴重な時期です。「この大学は合わないから辞める」と性急に決断しなくても、マンガ喫茶で悶々としていた時間が、人生の肥やしになったりしますからね。