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5月の憂うつをやり過ごすいくつかの方法[前編]トミヤマユキコ×星野概念

大学助教と精神科医による「5月病」の処方箋

note

「ねばならない」の正体を一つひとつひも解いていく

星野  僕たちがしんどさを感じるのは「こうしなくちゃいけない」「こうすべきだ」という思考に縛られるときです。精神医学者のフロイトは、人間の心は「超自我」「エス」「自我」の3つの要素でできているという構造論を提唱しました。教育や社会から後天的に植えつけられた「こうすべき」で動くのが「超自我」、「こうしたい」という本能で動くのが「エス」、「超自我」と「エス」のバランスを保つのが「自我」の働きです。すべきこととしたいことの間をうまく調整できればいいのですが、「超自我」が強すぎると、周りからは「よい子」として褒められるけど本人はとてもつらい、という事態になってしまう。「5月病」になりやすいのは、「超自我」が「エス」より強く働いてしまう人です。

トミヤマ 「したい」をもっと優先していいよ、ということですよね。でもそのバランスをとることが難しい。

星野 そうなんです。患者さんの言葉に「ねばならない」「べき」が多いときは、苦しんでいる証拠。そんなときは、一緒に逃げ場を作ります。例えば、社会人の方で「休日でも1日に1度は必ず上司に連絡しなくちゃいけない」「携帯の電源は切ってはいけない」という方がいたとします。小さなことだけど、地味につらい。でも、彼を縛っている「ねばならない」の根拠を一つひとつひも解いていくと、自分自身でルールを課しているところもあるんです。「よく考えれば、週明けの朝に連絡すれば大丈夫ですね」など、「ねばならない」が1つ減るだけで、ずっとラクになる。がんじがらめに偏っている思考を一緒に調整するのが、僕の役割のひとつだと思っています。

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トミヤマ 精神科医として患者さんに向き合うとき、気を付けていることはありますか。

©榎本麻美/文藝春秋

星野 大事なのは、“一緒に”調整するというところで、何かを指示することがないように気を付けます。僕が主治医で相手が患者さんという関係性は変わらないので、主治医はすぐに強い立場になりえます。「上司へのメールなんて返さなくていいんですよ」と言ってしまうと、患者さんは、主治医の指示がなくては判断できなくなってしまう。主治医が“教祖化”してしまえば、患者さんはずっと通院しなくてはいけなくなり、根本的な解決から遠ざかっていきます。あくまでも、本人に気づいてもらうことが大事。「よく考えれば、返信しなくてもいいですね」と本人が言ってはじめて、「ですよね」と返すんです。

トミヤマ なるほど。それは教員と学生の関係性でも同じですね。「そんなことしなくていいよ」って、つい断定したくなるけれど、本人が気づいて、自分を客観視し、似たようなパターンの出来事に対しても自分の力で応用できるのが一番幸せということですよね。

星野 そうそう。一方的なアドバイスでは宗教になってしまう。トミヤマ教の信者を増やしても意味はありませんからね。