新しい集団でのポジションを取りに行く自己防衛
トミヤマ なりたかったキャラと求められるキャラとのギャップで葛藤している人は、たくさんいる気がします。新しい環境への適応というしんどさに加えて、本来の自分だと思っていた「星野1」と、周りから決められてしまった「星野2」が、自分のなかで大喧嘩して、疲弊しちゃう。それが5月に出てくる人もいるでしょうね。
星野 そういえば、僕の友達にも、いつもいじられてニコニコしているヤツがいじられすぎて突然キレる姿を何度か見ました。「お前ら、いい加減にしろよ!」って(笑)。
トミヤマ いるいる。でも、大学1年生同士の自己紹介を聞いていると、自分のキャラクターを自ら取りに行く発言が多いんですよ。「私はサバサバしたタイプなので」とか「高校時代は部活で副部長だったからトップを支えるのが上手です」とか。新しい環境なんだから、まっさらな自分でいればいいと思うのに、これまでのキャラクターを引きずってしまう。周りに自分のポジションを勝手に決められるくらいなら、8割程度の満足感だけど昔から慣れているポジションを取っておこう、という心理なのでしょう。
星野 それもまた、ひとつの自己防衛ですね。集団が形成され始めるときは、そのなかで自分がどこに位置づけられるかはけっこう大事ですから。一度定められたキャラクターからは、なかなか抜け出せません。
トミヤマ コミュニケーションにおいて、バラエティー番組の「ひな壇芸人」の影響はとても強いとも言われています。お笑い芸人は“大喜利”や“やじうま”発言を交わしながら、「ポジション取り」をしていく。それを大学生や社会人もマネしながら、自分がいられる場所を探しているんです。受け身の姿勢で変なポジションに甘んじるくらいなら、先に手をあげてちょっとはましなポジションを取った方が、まだ身の安全が保たれるという防衛なのだと思います。
(※参照URL: 「10~20代のソーシャルメディアでのコミュニケーションに関する調査」http://prw.kyodonews.jp/opn/release/201502187804/)
住む場所を変えて脱出した「人生の5月病期」
星野 僕は今でこそ、精神科医とミュージシャン、物書きという複数の肩書を持つことがアイデンティティになっていますが、20代前半は、まったく違う人格を行き来しているようですごくしんどかったんです。研修医の時間は医者らしく、バンドマンをやっているときはバンドマンらしくしていなくてはいけない。そう思うあまり、どちらが本当の自分なのか分からなくなっていました。20代前半の院生時代は、その葛藤を一身に背負っていたので、顔もめちゃくちゃ暗かったですね。そのトンネルを抜けたのは、20代後半になって、音楽活動は続けながらも精神科医としての主人格がはっきりしてから。コラムを書くなど物書きとしても活動するようになり、やってきたことがすべてつながっていきました。医者でありながら、音楽や文章で多面的に発信していく自分でいいのだと、呪いが解けた気がしました。
トミヤマ うんうん。すごく分かります。私も、院生時代は本当につらかったなぁ。当時、ライターとして『図書新聞』という媒体でカルチャー系の記事を自由に書かせてもらっていましたが、所属していた研究室ではそれがまったく評価されませんでした。アカデミックな論文をコツコツ書いて教授に認められることをよしとする空気がかなり強くて、私は「軽い読み物を書いているチャラい人」。それが苦しくて、もうつぶれてしまう、と思っていたときに、文芸ジャーナリズム論系という、全く別の学科の助手になったんです。すると、そこの教授や学生は、私の書いたものを面白がってくれた。私がやっていることは何も変わらないのに、住む“村”を変えただけで評価が逆転し、味方がすごく増えたんです。じゃあこの村に住み続けようと思えたとき、かつての村で何とか適応しようともがいていた「5月病」的なものから、ようやく解放されました。
星野 そういう時間があったからこそ、「つらい時期も、のちに大事な経験になるんだよ」と心から言えますよね。5月病で一時的に、先が見えなくなっている人にも、その状態がずっと続くわけではないと伝えたいです。
トミヤマ 本当ですね。私はいまだに、「本当は何をやりたい人なんですか」と聞かれます(笑)。「中途半端にとっちらかっていてすみません」などとかわしつつ、「これは、村の移住によってつかんだ幸せなんだから、周りに何と言われようと関係ない」と心のなかで開き直っています。居場所を変えられる人は、思い切って変えちゃうのも手かなと思いますね。
星野 いいですね。学生や新社会人は、「こうしなくてはならない」が抜けないからつらいんですよね。中途半端でも、育って行けば形になる。
トミヤマ そうそう。太い柱1本で家を建てようとしなくても、割りばしを1000本並べたって家は建つ。でも「こうしなくてはならない」という気持ちに引っぱられると、立派な柱で建てようと考えちゃうんですよね。精神科医が本気で音楽やったっていいし、大学の先生がパンケーキ食べ歩いてテレビに出たっていい。そんな大人もありなんだ、というのはぜひ伝えたいメッセージですね。