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 というわけで、レンタル業者と主に連絡を取り合っていたのはUさんだったのだが、Uさんはその過程を事細かに報告してくれた。仮名感むんむんの、アナグラムとしか思えないような名前の代表者とのメールのやりとりには、この世の見るべきではない側面が凝縮されているような気がしてなかなかゾクゾクした。Uさんは、代表者へ年齢や背丈など簡単な条件を伝え、代表者が紹介してくれた何人かのレンタル彼氏からM氏という男性を選んだ。そこからUさんは、M氏と実際に一度会い、弟(=私)を騙すため打ち合わせをしたという。どこで出会ったのか、どれくらい付き合っているのか、印象深かったデートの内容、同居していない理由、勤務先……聞けば、万が一偽物だとバレてしまったときの対処法まで決めたらしい。プロの仕事である。万が一偽物だとバレてしまったときの対処法なんて、どう考えても弟(=私)のほうが決めておくべきである。

 さあ、会食当日だ。その日私は、海外のテレビ局から取材を受け、いよいよカメラが回るという段階で「では、ここからは英語でいけますよね?」と当然のように尋ねられるという事件に遭遇していたため、精神的に弱っていた。二十代で、国内では最も有名とされている文学賞を一応受賞している作家が、英語すら話せないとは……みたいな空気の中、必死に通訳の方の話に耳を傾け続けたノン・グローバル・オーサーから、Uさんの弟であり都内のIT企業で商品の宣伝業務を担当している青年に、さっさと生まれ変わらねばならないのだ。こんなダウナーな気持ちで大丈夫かな、と思っていたが、役作りのために買っておいた赤いフレームのメガネをかけた途端、地元にいる両親からの命令で姉の恋人の人柄を確認するひょうきんかつ人の好い弟にポンとなりきることができた。これぞデ・ニーロ・アプローチ。鈴木亮平も真っ青の画期的な役作りである。

 Uさんと、少し早めに店の個室に入る。M氏との打ち合わせ内容を教えてもらいつつ、こちらの対策を練っていく。

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 さて、この会を催す当初の目的は「誰かになりきる場がほしい」だった。つまりは純粋な向上心、自己実現のための集いだったはずなのだが、この段階になると、私とUさんは「プロのレンタル業者に勝ちたい」というどろっとした野心を抱き始めていた。欲が薄いと言われている日本の二十代にだってギラギラ滾る野心があるのだ。

 ただ、私とUさんはうぬぼれているだけの素人である。少しくらいハンデをいただいてもよかろう。というわけで、私たちはM氏がされたくないであろう申し出を考えておくことにした。それはこの二つである。

 

(1)地元の両親が写真を送れとうるさいので、写真を撮らせてくれないか
(2)今後も仲良くしてもらいたいので、連絡先を交換してくれないか

 

 M氏にとって、いまこの場に自分がいたと証明されてしまう写真撮影、そして今後の付き合いを連想させる連絡先の交換というものは避けたいイベントだろう。ということで、私がこの二つのイベントをオーガナイズすることに決まった。

 どうやって逃げるんだろうねえとニヤニヤしていると、Uさんの携帯が光った。

「あ、駅に着いたみたい。あと五分くらいで着くって」

 あと、五分。

 そう思った途端、私の体は、ぐっと温度を下げた。

 五分後に、来るのだ。本当はUさんの彼氏でもなんでもない人が、少し前からUさんと付き合い始めたんですよという顔をして、そういう顔をする代わりに金銭を受領した人が、この密室にやってくるのだ。

 M氏、マジ怖くね? 私は、頭を殴られるように、突然そう思った。すると、手先がどんどん冷たくなって、てのひらに汗が滲み始めた。そして、Uさんと私の間の打ち合わせが不足しているのではないかという不安も、むくむくと膨れ上がり始めた。姉弟設定なんだから、実家の間取りとか最寄駅とか高校名とか通学路とか、そういうの決めといたほうがよくない!? ねえ?! と今更慌てふためき出したそのとき、

 コン、コン。

 ノックされたドアが、ゆっくりと開いた。

対決! レンタル彼氏(3)に続く

風と共にゆとりぬ

朝井 リョウ (著)

文藝春秋
2017年6月30日 発売

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