「ダ・ヴィンチ」BOOK OF THE YEAR 2015 1位(エッセイ・ノンフィクション部門)! 『時をかけるゆとり』に続く朝井リョウエッセイ集、第2弾が6月30日に発売されます。刊行を記念して、本書の一部を特別公開。別人格になりきるために、その道のプロであるレンタル業者を利用することに決めた朝井さん。その覚悟の先にあるものとは?
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対決! レンタル彼氏(3)
「お待たせしてすみません」
横にスライドしたドアの向こう側に、スーツ姿の男性が立っている。
M氏だ。
「はじめまして、Mです」
M氏はいかにもサラリーマン風なカバンをそばに置くと、にこやかにほほ笑みながら椅子に腰を下ろした。「ごめん、ちょっと遅れて」Uさんに話しかけるその横顔はどこからどう見ても彼氏そのものであり、「あ、全然。私たちも今来たばっかりだから」とM氏に向かってドリンクメニューを差し出すUさんも、どこからどう見てもM氏の彼女そのものだった。
おそろしい子……!
本物の実力を目の当たりにした途端、私の中にあったらしい月影千草的スイッチがバチコンと押されてしまった。「爆笑ヒットパレード」での藤井隆さんを観たときに感じたあの衝動と似ている。それはつまり、なりきり能力の高い人への強烈な嫉妬だ。
「すいません忙しいのにわざわざ来てもらっちゃって、なんか親が姉貴のこと心配しすぎててうるさくって……ほんとすんません」
一言話し出せば、さっきまで手先が冷たくなっていたことなど嘘のように、ぽろぽろと言葉が零れ出てきた。
「いやーでもほんとびっくりですよ、こんなちゃんとした彼氏ができてたなんて〜! もう父ちゃんも母ちゃんも喜びますよ〜」
おそろしく楽……!
私は雷に打たれたようにそう思った。全員がウソをついているって、なんて楽なんだろう。誰も本当の自分を差し出していないので、心が擦り減るようなタイミングが一切ないのだ。人間関係が時にとても疲れるのは、みんな、きちんと本物同士で関わり合っているからなのだろう。架空の人物同士で会話をしている今ならば、実は顔が大きいの気にしてるんでしょ、なんてデリケートゾーンを突如攻撃されたとしてもイラつかないかもしれない。
こちらの口数が増えれば、相手の口数も増えていく。私はいろんな質問をしながら、相手の出方をうかがうことにした。
デートとかどこ行ってんすか、こんなの(※姉貴を指しながら)(←やんちゃな弟演出)と、と訊けば、
「最近は……どこだったかな、イチゴ狩りに行ったかな。そんなに休みも合わないんでなかなか遠くへも行けないんですけどね」
Uさんと打ち合わせしていたのだろう内容が、M氏の口からぽんぽん出てくる。隣でUさんも、さもその思い出を共有しているかのように頷いている。っは〜白々しい。
「仕事内容ですか? そうすね、素材関係なんで、あんまり話してもわかんないかもしれないんですけど、カメラとかの部品になるようなところの素材を扱う会社ですね」
このような逃げ方もさすがにうまい。素材関係、という、一般的によく知られていない業界を差し出すことで、こっちが「あー、それって××ですよね」等と話に踏み込んでいくことを拒否しているのだ。ふわっと仕事内容を話すだけで、社名は絶対に口にしない。おそろしいM……!
「職場? 職場はえーっと……品川のほうですね。自宅からはまあ、三十分くらいかな? 近い方なので助かりますよ」
だが、時間が経つにつれて、少しずつ少しずつ、職場は品川、とか、そこから三十分くらいの場所に自宅がある、とか、おそらくM氏にとっては明かしたくない具体的な情報が見え隠れしてきた。これも全てウソかもしれないが、ウソであったとしても、品川、という具体的な地名を出してしまったことはM氏にとって誤算だっただろう。
私はそこを攻めることにした。
「あ、そっちのほうなんですか? うわーボク仕事でよくそのあたり行くんですけど、なんかいい感じでランチとか打ち合わせとかできる店がなかなか見つからないんですよね、どこかいいとこ知ってますか?」