さあ、どう答えるのかしら、マヤ――。
見えない緊張感が、個室の中を埋め尽くす。
「あー……ちょっと駅から遠いんで、僕のおすすめは参考にならないかもしれないですね」
すぐに、上手にかわされる。なるほど、そんなカンタンに尻尾はつかませないってことですか―いつしか私は、心の中に月影千草を飼う赤メガネのひょうきんな弟、といういよいよ複雑すぎる人格になりきっていた。
お酒がまわってきた(振りをしつつ本当は全員ギンギンに頭が冴えている)ところで、もう少しプライベートなことを聞いてみたりもする。
「姉貴、Mさんのためだったら料理とか作ったりするんですかあ?」
「ちょっともう、何聞いてんのやめてよ」
こんなふうにすぐに対応するUさんもなかなかのマヤである。油断ならない。
「あー、作ってくれたりしますよ。家庭料理的なものを」
「へー! 実家にいたときは全然そんなことしなかったくせに……ねえ!?」
心の中の月影千草を飼いならし始めた私は、なぜか、結託していたはずのUさんに対してもトラップを仕掛けるようになっていた。打ち合わせしていないディテールを突如ふっかけるのである。
「Mさんってお酒はよく飲まれるんですか? へ〜それならうちの親父が喜びますね〜……ねえ姉貴!?」
「あ、そーいえば動物大丈夫ですか? うち実家でペット飼ってて……ねえ姉貴!? 犬だよねえ!?」
突如始まった設定増し増し祭りにより、私とUさんはなりきり能力のレベルをガンガン上げていった。少年漫画によくある、「こいつ……試合中に強くなってやがる……!」である。
だが、本命マヤであるM氏も負けていない。あらかじめ決めておいた二つの申し出を繰り出してみるが、まるで歯が立たなかったのだ。「両親が見たがっている」と写真を頼んでも、「今日はお酒を飲んで顔も赤いし、格好も適当だから、御両親に見せるならばもっとちゃんとしたときに」と自然にかわされる。「これからも仲良くしたいので連絡先を知りたい」と申し出ても、さりげなく「あ、じゃあU、あとで俺の連絡先伝えといて」とその場では交換しなくてもいいような空気を作る。そう言われてしまうと、無理に「今、写真撮らせろよ!」「今、連絡先教えろよ!」と主張するほうが変な感じになってしまうのである。さすがだ。この部屋はもうマヤだらけである。
「ごめん、ちょっとお手洗い行ってきます」
二時間ほどが経過したころ、Uさんが不意に席を立った。「不意に」と書いたが、もちろんこれも計画のうちのひとつである。お互いに必ず一度はお手洗いに行き、それぞれがM氏と二人きりになる空間を作り出すことを事前に約束していたのだ。
Uさんが個室を出ると、当たり前だが、個室の中はM氏と私だけになった。
スーツのよく似合う爽やかな青年は、なんてことないといった表情で、お酒を飲んでいる。顔は少しだけ赤くなっており、お箸の使い方がうまい。
この人、誰なんだろう。
郵便物の封を開けるように、私は思った。今目の前にいるこの男の人は、一体どこの誰なのだろうか。この不思議な感覚は、なんと表現すれば伝わるのかいまだによくわからないのだが、小さな個室の中に、この個室いっぱいに広がる世界が二つ存在しているような、とにかく不気味に計算が合わない感覚だった。
これで最後にしよう。私は口を開く。