恋愛に似ているけれど恋愛ではなかったというものを書いてみたかった『匿名者のためのスピカ』
――『夏の裁断』の少し前に刊行された『匿名者のためのスピカ』(15年刊/祥伝社)はミステリーテイストで、思い切りエンターテインメント系の小説ですね。
島本 書き始めたのが5、6年前なので、このタイミングで出るにしてはずい分前のものなんです。『よだかの片想い』の前後くらいに書きました。産休に入ったために私の改稿が遅れ、その後は『Red』(14年刊/中央公論新社)に取りかかったために遅れて、この時期になりました。
――一度就職したものの法科大学院に入り直した青年、笠井修吾が同級生の館林景織子と親しくなりますが、彼女は元恋人からストーカーされている。ある時その男、高橋が彼女の弟に暴行を加えた上に彼女を連れ去ってしまう。笠井は友人の七澤とともに二人の行方を追うけれども、気になるのは景織子が自ら高橋についていったように見えたこと…。これは、お母さんが殺されて、娘さんが沖縄に連れ去られた事件を思い起こさせますよね。
島本 もちろんこの小説は、実際の事件とは人物像もまったく違うんですけれども。あの事件の時、連れ去られて犯人と一緒に行動していた女性に対して「なぜ逃げださなかったのか」という意見もありましたが、そういうことはある気がして。でも、その心理状態って、分からない人には全然分からないんですよね。小説に書いたような出来事があった時も、景織子のような状態に陥る人はある程度いるんじゃないかと思っています。
――こちらも『夏の裁断』と同じく、共依存的な関係が描かれていますよね。今、島本さんの興味がそこに向かっているんでしょうか。
島本 そうですね。これまでも小説に恋愛を書いてきましたが、振り返ると自分でも「これ恋愛か?」と思うものがあって。一回、自分のなかを整理する意味で、恋愛に似ているけれど恋愛ではなかったというものを書いてみたかった、という要素が強いです。
――『夏の裁断』の柴田と本作の高橋は、どういう違いがありますか。
島本 『夏の裁断』の柴田さんは、言動がかなり自覚的だと思うんです。本能的に人をコントロールするのが上手な人、という描写もありますが、基本的にはこう言ったら相手がこういう風に動くだろうということを分かってやっている。高橋さんのほうは、もうちょっと未熟で、無自覚なイメージですね。精神的な成長を拒んだまま、衝動にまかせて動いていたら、こんなことになってしまった、という感じです。
――2作の女性主人公についてはどうですか。
島本 どちらの主人公も孤独に弱いイメージです。ただ、『夏の裁断』の主人公のほうが意外と冷静かもしれないですね。『匿名者のためのスピカ』の景織子のほうが受け身というか、いつか誰かが助けに来るのを待っている。高橋さんも景織子も相手任せなところがあって、だからかえって明確な意志がないままに事件にまで発展してしまうという。